今日は何の日

2004/02/29

今日は閏日。

今年は閏年なので2月29日までありますね。
で、閏年の『閏』という字の語源を調べてみたら、ちょっと面白い話が
ありました。
中国では王は通常、宗廟内の執務室にいるのですが、この執務室が
12部屋あり、月ごとに部屋を替わっていたんだそうです。
ところが閏月には執務する部屋がなく、その月だけは王は門内で執務を
取りました。
そこから「門」に「王」と書いて「閏」という字ができたんですって。
太陰太陽暦では、暦が実際の季節とずれるのを防ぐために挿入される
月のことを閏月と言います。現在のグレゴリオ暦では大体4年に一度、
潤日をはさみますが旧暦では約3年に一度、この閏月をはさんでいました。
王様が門の前で執務するなんてちょっと笑っちゃいますよね。
部屋ぐらい作ってあげればいいのに。フフ・・・

そしてイギリスでは、閏年の2月29日にだけ女性から男性へのプロポーズ
が公認されていて、プロポーズされた男性はそれを断わることはできな
かったのだそうです。
これはまた恐ろしい風習ですね。(笑)
4年待てば必ず好きな人と結婚できるというのは、女性にとっては幸せ
なことなのかもしれませんが、ストーカーみたいは人に惚れられている
人にはたまったもんじゃないですよね。
でも、無茶苦茶モテる人はどうしたんでしょう。
今宮戎の福男選びのように、早い者勝ちだったんでしょうか?
ロングスカートの裾を捲り上げて、真夜中に町中を走り回っている若い
娘を想像すると、ますます恐ろしいですね。(爆)

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2004/02/17

梶井基次郎の生まれた日

今日は昭和文学史上の奇跡と言われた作家、梶井基次郎の生まれた
日です。

梶井基次郎と言えば、朱雀は『檸檬』と言う小説にとても感慨深いもの
があります。

朱雀がデカダンに嵌りはじめ、まるでパズルを埋めてゆくように手当
たり次第デカダン小説を読み漁っていた頃、それらの書籍が充実して
いる本屋に、僅かな小遣いを握り締めてはよく出かけていました。
そこに行くと何ともいえないドキドキ感と、胸がきゅっと締め付けら
れるような切なさがあって、時間の許す限りそこで過していました。
欲しい本は山のようにあるのですが持ち合わせは僅かで、いつも散々
迷って数冊買って帰るのですが、そのたびに今ここが火事にならない
かなぁと、不埒なことを思ったものです。
そうすれば手当たり次第、好きな本を持って逃げるのに・・・(笑)

ある日どうしても欲しい本が10冊ほどあって、その日買えるのは精々
2冊で、でも中々2冊に絞ることが出来ず、10冊の本を前に随分と長い間
迷っていたんです。
で、漸く選んで買うことにしたのですが、残りの8冊を元の場所に戻す
のが何故か嫌で、その本を順番に積み上げたんです。
そうしたら凄く気持ちよくて、他にも欲しい本を引っぱり出して来て
更にその上に積み上げました。
お気に入りの本で出来た塔はなんとも不思議に輝いて見え、そこには
特別の空気が流れているようにも思えました。
そして朱雀は本をそのままにして本屋を出て、帰りの電車の中で本の塔
がずっとそのままそこにあれば、特別な世界の入り口がこっそり開く
かも知れないと、思わず笑ってしまいました。

その後、基次郎の小説『檸檬』を読んだのですが『檸檬』には書店で
画集を積み上げ奇怪で幻想的な城を築き、その上に檸檬を乗せ、何食わ
ぬ顔をして外に出る場面が書かれていて「丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろ
しい爆弾を仕掛けてきた奇怪な悪魔が私で、もう十分後にはあの丸善が
美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなに面白いだろう」
という結末になっていました。
その檸檬の草稿には『私はそれにこの上ない満足を感じた』と書かれて
いて、ああ、同じなんだと妙に感動したのを覚えています。

当時の朱雀には、小説の中に存在する自分と同じ思いを抱えた人物を
見つめる事が最高の快楽で以来、基次郎は一気に朱雀の特別な思い入れ
のある作家の一人になりました。

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2004/02/15

釈迦が入滅した日

昨年末からお知らせ中心の日記になっていましたが、久し振りに今日は
何の日バージョンを・・・(笑)

今日は釈迦が入滅した日です。
釈迦は45年間の長い教えの旅を続けたのち、弟子を一人連れて自分の
故郷に旅立ちましたが、途中で大病を患い現在のネパール国境近くの
クシナーラというところで、入滅されたと言われています。

入滅の後、その遺骸はマルラ族の手により荼毘に付されました。
当時、釈迦に帰依していた8大国の王達が、釈迦の仏舎利を得ようと
遺骨の分配について争い、香姓(ドーナ)婆羅門の調停を得て仏舎利は
八分されます。
八大国とはクシナーラーのマルラ族、ベーシャーリーのリッチャビ族
などで、遅れてやって来たマウリヤ族の代表は灰を得たということです。
分配された仏舎利は供養塔に納めて祀られ遺骨以外の髪や爪、所持品を
納めた塔も建てられ、それら全てが崇拝の対象となりました。
そして火葬にされた釈迦の骨は、すべて灰にならずに残ったと言われて
います。

仏舎利の話には韋駄天に纏わる説話もありましたね。
韋駄天は梵名をスカンダまたはカルッティーケーヤといい、原義は
『跳ぶ者』とされています。
元々はインドのバラモン教の神、シヴァ神の子で仏教を妨害する邪神
でしたが、釈迦に帰依してからは仏法の守護神となります。
この韋駄天は釈迦が入滅の後、足の速い捷疾鬼(しょうしつき)が仏舎利
から仏牙(釈迦の歯)を奪って逃げ去った時、これを追って取り戻したと
言われています。
そこから足の速い人を韋駄天と呼ぶようになりました。
韋駄天は修行僧が悪魔に悩まされると、走ってきて救ってくれるそうで
他にも足腰の病を癒してくれる神として、また小児の病魔を除く神と
して信仰されています。

釈迦の死は『入滅』の他、『入涅槃』や『如月の別れ』とも言いますが
その昔沖雅也と言う俳優が自殺をした時の遺書に『涅槃で待つ』と記さ
れていたと言うニュースが当時話題になり、涅槃の意味がよく分からな
かった朱雀は、辞書で調べたりしていました。(笑)
涅槃には一般的に釈迦の死、すべての煩悩が消え不生不滅の悟りの
智慧を完成した境地、迷いや悩みを離れた悟りの境地、解脱などの
意味がありますが、もう一つ、男女の性行為やその快楽の絶頂という
意味もあります。
『涅槃』はやたら淫靡で神聖な言葉なんだなぁと思ったのを思い出します。

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2003/12/10

『王冠を賭けた恋』の話

1936年の今日、イギリス王エドワード8世がシンプソン夫人との結婚の
為に王位抛棄を宣言しました。
米国人のウォリス・シンプソン夫人には2度の離婚歴があり、離婚を
認めない英国国教会と政府の反対を受けたエドワード8世は、ウィン
ザー城からBBSを通して「愛する女性の助けと支持なくして、国王と
しての責任を担い、義務を果たすことは不可能だ」と発表し退位しま
した。
これは、世紀の恋、王冠を賭けた恋として、有名なお話ですね。

エドワード8世はウィンザー公爵の称号を得、翌年オーストリアで
シンプソン夫人と結婚しましたが、実は、このシンプソン夫人には
なんと愛人がいたんですって。それも年下で妻帯者。
この男性は自動車のセールスマンで、シンプソン夫人はエドワード8世
からの高価なプレゼントを受け取って置きながら、この男性にお金や
贈り物を貢いでいたそうです。
また、ウィンザー公爵夫人となった後にも、年下の愛人と関係を持った
と言われ、更にナチス・ドイツのフランス侵攻に関し、ナチスに有利な
情報を流したとして、1941年FBIの捜査対象にもなりました。
何だか凄い女性ですね。

そして、愛人の事をエドワード8世が知っていたかどうかは不明ですが
実はエドワード8世もこの恋愛騒動で退位する14年も前から、「皇太子
としての仕事は自分には合わない」と、王位継承を渋る態度を見せて
いたそうで、これは、サザビーズが競売の為に公開したエドワード8世
の手紙の中に書かれていたそうです。そしてこの手紙はシンプソン夫人
と出会う前に交際していた既婚女性フリーダ・ダドリー=ウォード夫人
宛のものなんですって。どっちもどっち・・・(笑)

エドワード8世はファッションセンスが豊かな美男子として知られて
いますが、写真で見る限り、チャールズ皇太子にとてもよく似ている
ような・・・現在のエリザベス女王はエドワード8世の姪なので、当然と
言えば当然ですが・・・どこが美男子??
で、シンプソン夫人はどれほど美しい人だったかというと、写真で見る
限りではあまり美しい人ではないようです。
二人が結婚した時が40歳だったので、あまり若い写真がないせいかも
しれませんが、朱雀のイメージでは、『アルプスの少女ハイジ』の
ロッテンマイヤーさんって言う感じ・・・(笑)

そして今も昔も、女性問題で、大騒ぎになるのはイギリス王室の伝統
なんでしょうか?ふ~

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2003/12/08

成道会の日

今日は、お釈迦様が悟りを開いた日とされ、この日は成道会(じょうどうえ)
と呼ばれる法会が各地で行われます。

釈迦は俗姓をゴータマ、名をシッダルタといい、約2500年前に、現在の
ネパール南部のカピラバスツー城で、シュッドーダナ(浄飯)王を父に
マヤ(摩耶)夫人を母として生まれました。
王子として生まれ、国王の座を約束されていながら、29歳の時に自ら
その地位を棄て、出家の身となり修行に入った釈迦は、人間の苦しみの
根元である四苦(生苦・老苦・病苦・死苦)からの解放を求めて、肉体を
痛めつける苦行の道を進みましたが、やがて苦行では問題を解決する
ことはできないと判断し、苦行を中止しました。
ある日、やつれた体を村娘の供養した乳粥でいやした釈迦は、ブッダガヤ
という町のはずれに立っていた菩提樹の下で、静かに坐禅を組んで瞑想
をはじめ、12月8日の未明、東の空に一際美しく輝く明けの明星を見た時
忽然と人生における悟りを開き、仏陀となりました。
この時、釈迦は35歳でした。

仏教の根本主張をあらわす言葉に『諸行無常』『諸法無我』『涅槃寂静』
という3つの言葉があります。

【 諸行無常】
世の中のいっさいのものは常に変化し生滅して、永久不変なものはない 。
【 諸法無我】
すべては他のものとの関係によって成り立ち、諸行無常の変化も周囲と
の関係によって起こる。他から独立して存在するものなど何もない。
【涅槃寂静】
諸行無常・諸法無我の真理を深く自覚すれば、何事にも動じない平安な
境地に達する。

釈迦はこのような事を悟ったのだそうです。何だか、分ったような、分ら
ないような・・・(笑)

で、あらためて悟りって一体なんだろうと、色々調べて見たのですが、
辞書には『迷いを去って真理を知ること。生死の世界を超越すること。』
と書いてありました。
でも、幼稚園を経営しているお寺などでは園児に『世の人々が苦しみや
悩みを乗り越え、幸せになる道を見つけること』と教えるのだそうです。
こっちの方が、分りやすいですね。(笑)

歳も押し迫った慌しいこの時期にこそ、ちょっとそう言うことを考えて
みるのもいいかな、なんて思いました。年に一度だし・・・(笑)

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2003/12/07

知ってる人は知っている『ボブ・ゲルドフ』の話(笑)

1984年の今日、アフリカの飢餓難民救済の為に結成されたバンド・エイドが
チャリティ・コンサートをロンドンで行いました。
この後、アメリカでもUSAフォー・アフリカを結成し、マイケル・ジャクソンら
が参加した『We are the world』は大ヒット曲となりました。
この両者が一体となり、翌年にはアフリカ難民救済コンサート、ライヴ・
エイドが開催されています。

朱雀はバンド・エイドの提唱者であるボブ・ゲルドフのファンです。
彼はブームタウン・ラッツというバンドのリーダー兼ボーカリストで79年に
『I don't like Mondays(哀愁のマンデイ)』という曲が大ヒットしています。
朱雀が好きといってもこのバンドはメタルじゃありません。(笑)

この『哀愁のマンデイ』は79年にサンディエゴで実際に起こった事件を
元に作られています。月曜の朝、父親のライフルを持ち出した17歳の
少女が学校で銃を乱射した事件で、逮捕後『何故、銃を乱射したのか』と
いう問いに少女は『Because I don't like Mondays』と答え、日本でも
話題になりました。
歌にもこの台詞が物悲しいピアノに乗ってボブのハスキーな声で繰り返
され、切ない歌になっています。

この曲が入っているアルバム『The Fine Art Of Surfacing』は捨て曲が
1曲もない朱雀の名盤シリーズに入っています。(笑)
ちなみに朱雀のイチ押しは『Having My Picture Taken』という曲です。

ブームタウン・ラッツはライブ・エイドの提唱者というボブのイメージに
潰される形で、いつの間にか消滅してしまいましたが、アイルランド出身
のボブの曲に見え隠れするケルトの残像は朱雀の好きなスパイラルに
引っ掛かっていて、意識しなくても彼の音楽は何故か定期的に朱雀の
前に現れてきます。

ボブは92年に行われたフレディ・マーキュリーの追悼コンサートでケルト
民謡風の『Too Late God』という曲を花柄のスーツを着て歌っているの
ですが、この人の服のセンスは昔から凄かったけど、この時は本当に
凄かった。その服はアルバムのジャケット写真でも着ています。(笑)

ラッツ時代『Go Man Go』と言う曲で、日本で見た着物の印象を『背中に
クッションを生やすし』と歌っていた皮肉屋なボブをもう一度見たいなぁと
これを書きながら、ふと思いました。

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2003/12/05

バミューダトライアングルの日

今日はバミューダトライアングルの日だそうです。

1945年の今日、バミューダ、プエルトリコ、フロリダ、の3点を結ぶ
大西洋の海域で、アメリカ軍機が消息を絶ち、その救援機も同海域で
行方不明となり、以降この海域は、魔の三角地帯と呼ばれるように
なりました。

バミューダトライアングルは、魔の海域、大西洋の墓などとも呼ばれ
コロンブスの時代から不思議な現象が起こる海域として知られて
いました。
一般にはバミューダ諸島、プエルトリコ、フロリダ州マイアミを頂点と
して作られる三角の海域を指し、現在まで22機の航空機が墜落、38隻の
船が沈没しています。

この海域での謎の遭難事件には様々な仮説があります。
『海藻の大量発生説』『突発的な暴風雨説』『UFOによる誘拐説』
『強力な電磁波説』などがありますが、現在一番有力とされているのが
『メタンハイドレード説』です。

メタンハイドレートというのは、動物などの死骸が積もって層になり
その後メタンに変化し、氷の中に閉じ込められたもので、メタンガスが
含まれ、火をつけると炎を上げて燃えます。
このメタンハイドレードは、シベリアなどの極寒の地域の地中や海底の
更に下の地層に大量にあることが最近の調査で分っており、実際に
この海域の海底の下にも大量のメタンハイドレードがあることが確認
されています。

このメタンハイドレードが何らかの理由でメタンに変化し、気体となって
海上に浮き上がってくるのですが、その時に船がそこを通っていたら
どうなるのでしょう?実際に、その実験が行われた結果、船は浮力を
失い、一瞬で海底に沈むというものでした。
航空機についても、気体であるメタンは海中を上昇し空気中に現れて
きます。メタンは空気より軽いため更に上昇し、航空機のエンジン
プラグに引火しエンジンが爆発するか、酸素不足でエンジンが停止して
海へと落ちていくと考えられます。

そして海に沈んだ船や飛行機は、ガスが噴出した跡のクレーターに落ち
細かい沈殿物に覆われてしまうため残骸が発見されにくくなるのだ
そうです。
科学的に証明されてしまうと、謎でも何でも無くなってしまいますね。(笑)

そういえば、バーミューダトライアングルでの海難事故で生き残った少年
の話を元にした映画もありましたよね。『白い嵐』だったかな?
見たと思うのですが、内容は覚えてないです。(笑)

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2003/12/04

聖バルバラの日

今日は聖バルバラの日です。
聖バルバラはローマ時代に若くして殉教した女性で、キリスト教では
未婚の女性の守護聖人です。

バルバラはマキシミアヌス皇帝の治世下で大商人ディオスクルスの娘と
して生まれました。
異教徒の貴族である父親は、大変な美貌で求婚者が後を絶たない娘に
悪い虫がつかないように、塔を建てて閉じこめてしまいます。
ところが一緒に住まわせた侍女がキリスト教徒であった為、バルバラは
侍女から色々な話を聞くうちにキリスト教に心を傾けるようになります。
そして医師に扮した僧を塔に招き、密かに洗礼を受けてしまいます。
ある日、父親が旅に行く前に職人に塔の浴室に2つの窓を作るように
命じて出かけます。バルバラは父の不在中に、3つ目の窓を加えさせ
ました。
帰宅した父親がその理由を尋ねると「3つの窓は父と子と精霊の象徴で
その祝福があって初めて光が入ってくるのです」と答えたため、娘が
キリスト教に帰依したことを知った父親は激怒し、娘に剣を振り下ろし
ました。
咄嗟にバルバラが祈ると岩が二つに割れて彼女を包み、遠くの山まで
運んでくれ、彼女は暫らく山の中で暮らしていましたが、羊飼いの密告で
捕まり、ローマ総督に引き渡されます。
その時密告した羊飼いの羊は全てイナゴになってしまいました。

バルバラは改宗するように拷問を受けましたが、信念を曲げることはなく
また神の加護を受けた彼女の傷は翌日には全て癒えてしまうので、
総督は彼女を斬首することに決め、刑の執行者に父親を指名し、バルバラ
は僅か16歳で斬首されました。
その直後、父親は落雷に撃たれ死んでしまいます。

総督に引き渡される道すがら、バルバラは道端の桜桃の枝を折り、獄中
の壺に生けていました。その桜桃が処刑の日に見事な花を咲かせたこと
から12月4日の聖バルバラの日には果樹園などで桜桃を切り取り壺に
挿すのが習慣となりました。

またこの日に、桜桃と杏と林檎の枝を挿し、結婚相手に望む3つの願い
を紙に書いて枝に結んでおくと、クリスマスに花が咲いた枝の願いが
叶うそうです。
桜桃には『私を愛してくれますように』杏には『若い人でありますように』
林檎には『裕福でありますように』と書くのだそうです。
朱雀は林檎の花が咲いて欲しいなぁ。
もし何でも書いていいのなら『どんな我侭も聞いてくれますように』って
書きます。(笑)

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2003/11/30

ジョルジュ・ドンの話

今日は、二十世紀バレエ団の象徴的存在、ジョルジュ・ドンの命日です。

ジョルジュ・ドンはロシア人の両親の間に、移民先のアルゼンチンの
ブエノスアイレスに生まれ、7歳で地元のコロン劇場バレエ学校に入学
します。
そして、16歳の時に見た20世紀バレエ団の初の南米公演を見て感激し
単身でブリュッセルまで追いかけ入団します。
その後『ロミオとジュリエット』『ニジンスキー・神の道化』『我々のファウスト』
などベジャール作品のほとんどに出演し、ベジャ-ルに多くのインスピ
レ-ションを与え、数々の傑作を生む原動力的存在となります。
また1981年には映画『愛と哀しみのボレロ』にダンサ-として出演し、
一躍有名になります。
彼の踊る『ボレロ』は一度見たら決して忘れられない舞台と言われ、
芸術や美の域をも超えた『精神世界』を感じさせるとまで言われました。
1992年の今日、45才の若さで死去しています。

バレエだけでなく、すぐれたスポーツ選手も同じなのですが、天才と
呼ばれる域の人たちを見ていると、人間の体ってなんて美しいのだろう
と、思ってしまいます。
そして、人間の能力の可能性の凄さに圧倒されます。
本当に同じ人間なんだろうかと思うほど、高く飛んだり、優雅に舞ったり・・・

全く関係ありませんが、ヒヨコのオスとメスを瞬時に見分ける人や
手で掴んだだけで、新聞が何部あるか分る達人と呼ばれる人たちも
いますよね。
とにかく、そういう優れた人達を見ていると、自分は人間に本来備わって
いる能力をほんのこれっぽっちも使いこなせていない事にあきれて
しまいます。(笑)

生前「あなたにとってダンスとは?」という質問に ジョルジュ・ドンは
『もっと遠くへ行く手段です 。』と答えています。
また『バレエは職業ではなく情熱です。私には宗教でもある。』とも
話しています。

それが自分の全てと言えるものに出会えた人の感情も、愚人の朱雀には
サッパリ分りませんが、こうして人は更に高みに昇ってゆくのだなぁ・・・
なんて、彼の踊りを見ながら思ったことあります。

ただ神は、自分の領域に足を踏み入れようとする者に、激しい妬心を
おぼえるのか、天才と呼ばれる人たちは、大抵、早死です。
それとも神は欲張りで、一時も早く自分の傍にその人達を呼び寄せた
かったのでしょうか?
そうだとすると、きっと朱雀は、長生きするんだわ。(笑)

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2003/11/29

『サンドクリークの虐殺』とキップ・ウィンガー

1864年の今日は『サンドクリークの虐殺』が行われた日です。

これはアメリカの南北戦争のさなか、コロラド州サンドクリークで北軍
の部隊により133人のシャイアン族が虐殺された事件です。

シャイアンのチーフ、ブラックケトルが率いるキャンプは、全部で約
600人、その3分の2が女と子供でした。
白人の軍事力の大きさをよく知っていたブラックケトルは、軍隊と休戦
協定を結び、北軍のグリーンウッド大佐の「星条旗を掲げておけば絶対
に大丈夫」という言葉を信じ、星条旗と白旗をあげて安心していました。
ところがシヴィントン大佐にはそれが伝えられていませんでした。
シヴィントン大佐は、衆議院選挙出馬を狙っており、開拓者の反先住民
感情を利用しようとし、無防備なこのキャンプに突然奇襲をかけます。
逃げ惑うシャイアン達を容赦なく殺戮する兵士たちは『しらみの子は
しらみ』と女、子供も容赦なく殺しました。
その残虐さは筆舌に尽くし難く、皆、頭皮をはがれ、遺体は切り刻まれ
男女、大人子供の区別なく、生殖器は切り取られ、妊婦は、体内の胎児
まで引きずり出されたそうです。
この虐殺で、シャイアンの女と子供が105人、男28人が死にました。

1970年に作られた映画『ソルジャー・ブルー』はこの事件を元に作られ
ています。映画の題名は、当時のシヴィントン軍の制服が青色だった事
に由来しています。

以前、NHKで放送されていた海外ドラマ「ドクタークイン・大西部の
女医物語」は、当時のアメリカ西部の物語で、ドラマの中でもこの事件
に触れられていました。

このドラマはアメリカ開拓期の頃の、コロラドスプリングスという町で
女医ドクター・ミケーラ・クインを中心に、彼女の周辺で起こる様々な
事件とその人間模様を描いた作品です。
朱雀はこのドラマに出てくる、白人でありながら、シャイアンと共に
生きる男・サリーのファンでした。と言うか、サリー役の俳優さんが
朱雀の好きなアーティスト、キップ・ウィンガーにソックリだったん
ですよね。
キップ・ウィンガーは、バンドを組む前は、イギリスの王立バレエの
ソリストまで務めたことのあるバレエダンサーで、ステージでもベースを
弾きながらクルクルと美しく回るんです。
なので、このドラマを見ていると、サリーがいつかクルクル踊り出す
のではないかと言う馬鹿な期待をしながら、ずっと見ていました。(笑)

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