詩の解説、補足

2006/09/01

空礫(そらつぶて)

もの凄~く久しぶりに詩を書きました。

サイトにUPしたのも『遺人の塔』以来ですね。
更新履歴で確認したら『遺人の塔』をUPしたのはなんと1年3ヶ月も前でした。驚!

特に詩を書くことを止めていたわけではないのですが、思いを上手く言葉に乗せる
ことが出来なくて、またそれができるようになれば自然に書けるだろうと放って
おいたらこんなに間が空いてしまいました。(笑)

実はこの詩のイメージを掴んだのも昨年の夏だったんですよね。
朱雀の家から少し離れたところにもともと駐車場だったらしい空き地があって、随分と
長い間放置されているためかなり荒れているのですが、その空き地を囲っている
塀沿いに何故か白い百合の花がずら~っと咲いているのに気付いたんです。

その時はまだ上手く言葉に乗せることの出来ない思いがぼんやりと漂うだけで
結局詩にする事はできませんでしたが、昨日、また昨年と同じように百合の花が
咲いているのを見たんですね。
そうしたら燻っていた思いが、ちょこんと言葉に乗っかって急にぽろぽろ沸いて
来たんです。で、家に戻ってから一気に書いたのが『空礫(そらつぶて)』です。

いつものように内容はホントにたいした事ないのですが、ひっさしぶりに書いた割には
かなり「思い」と「言葉」をシンクロさせることが出来たんじゃないかと、自分に甘い
採点をしています。ヲイ・・・

では、いまいちどうでもいい詩の解説・・・(笑)

今ではすっかり忘れてしまった昔の夢がふとしたはずみで甦ってくる事ってありますよね。
それも夢と言ってもそんな大層なものではなくてほんの些細な望みというか、こうなれば
いいなぁというような願いなんですが・・・

そしてそれらはすべて上手く思い出に消化されているわけではないのですが、時間が
経つと共に日常にまぎれて、いつのまにか意識の奥底に沈み、感情が切り離された
ようになっているんですよね。

それが何かのはずみでポンっと浮かんでくると、懐かしさとともに、未消化の思いも
まるで瞬間解凍したように甦ってきて、切ないようなやりきれないような、そんな思いが
今の自分の中にそのまま残っていることに改めて気付かされたりするんです。

それは季節が移り変る境目を肌で感じた時のざわめきにも似ていて、ふと時を
止めたくなってしまったり・・・
けれども日常は当たり前のテンポで前に進んでゆくわけで、その狭間でただ戸惑って
いる自分の目に飛び込んできた百合の花がとてもとても眩しかったんです。

ぽつんと忘れ去れたようなその空き地はまるでそこだけ時が止まっているように
みえるのですが、毎年あたり前のように整然とその百合は咲くんですよね。
トタンの塀は時間の経過と共にどんどん痛み、いまではすっかりペンキも剥げて、
どれだけ長く放置されているかを物語っているのですが、今となっては誰が何の
ために種を撒いたのか、今でもその百合の花を楽しむ人がいるのかなんて、そんな
こともはおかまいなしに、夏が来ればその百合は本当に見事に咲くんです。

その眩しいほどの力強さにこつんと殴られたような気がして・・・

『空礫(そらつぶて)』と言うのは「目標なしに投げるつぶて。また、どこからともなく
飛んでくるつぶて。」と言う意味で、そのどちらの意味も含めてタイトルにしたのですが
結局は最後の『荒れた空き地に咲く百合の潔さが胸を突く』この一言が言いたかった
だけかもしれません。(笑)

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2005/04/05

叙景~花海棠~

長い間放置しっぱなしで、すみません!!

別館で開催中のコラボ企画で暫く放置気味になるかもというお知らせは
したのですが、実はコラボ以外にちょっと忙しくしていて羅針盤は
殆ど手を付けることが出来ませんでした。
皆様にご参加頂ける『手習草子』とお持ち帰り頂ける素材だけは細々と
更新を続けていたのですが、それ以外は全く無視!(笑)
そして別館のコラボの方も、企画者である朱雀がいつまで経っても作品を
作らず、皆さんの足を引っ張っています。トホホ・・・
でもいい加減何とかしなくて!と、遅まきながらリハビリをはじめました。

イラストはサイトにはUPしていませんが、先日ちょこっと描きました。
これがまた笑っちゃうぐらいマウスが言う事をきかず、ほんの小さな
イラストを描くのに四苦八苦!(爆)
それよりもっと酷いのは、昨年の11月からこれっぽちも書いていない詩で、
言葉が出てきません!!!
ウンウンうなりながら漸くひとつ出来たのですが、なんだかなぁ~の
出来栄えで、それでも何もないよりましかもとPoemにUPしました。

この詩は海棠という花をテーマに書きました。
相変わらず春が苦手な朱雀ですが、唯一の楽しみは海棠の花を見ること
です。
桜によく似ていますが、桜より少し後に咲くこの花は開花期間も長く、
心地の悪い胸騒ぎに苛まれながら見る桜と違って、ゆったりと楽しむ事が
出来るんです♪
異名の『睡花』は花柄が長く下に垂れて咲く姿をほのかに酒気を帯びた
絶世の美女・楊貴妃のうたた寝の顔にたとえた故事『海棠睡(ねむり)未だ
足らず』から付けられています。

水滸伝の怪僧、魯智深は妙に味のある漢で全身に刺した刺青は桜や牡丹と
いう説もありますが、朱雀としては粋に海棠を背負っていて欲しいです。(笑)
また『花和尚魯知深』という刺青の図案があるのですが、こちらはなんとも
壮絶です。
参考までに  http://www.keibunsha-bp.jp/rochi.html

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2004/11/11

今日は雨・・・

今日は久々に雨。
『秋に雨が』で始まる詩があったのでUP。
久し振りに読み返してみると、あれこれぎゅうぎゅうに詰まっている詩ですね。(笑)
あまりにマニアックなので、解説付きです。(爆)


『秋の口』

秋に雨がささらいで 音鳴く声にも似た響き
夜半(よわ)の寝覚(ねざめ)に 色無き風が
情(こころ)恋しと 吹き頻る

枯葉(こよう)に くろろが潜り込み 時のしじまで雨隠れ
幾ら待てば晴れるのか 朽葉色した胸のうち
とてもかくても 手裡にあるのは何首烏玉(かしゅうだま)
時は戻しも 伸ばせもできず 夢想の中で揺れ動く

なにやら いよいよ 忍び寄る  
蕭殺(しょうさつ)の気に 託(かこつけ)て
吐納(とのう)を宥(なだ)め 振り放(さ)け見れば 
雲の切れ間に 
覗く紫微垣(しびえん) 碇星(いかりぼし)

沁みる夜気を横豎(おうじゅ)に見立て
秋にひとり 思い戯る


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【くろろ】昆虫のカマドウマ、エビオコオロギのこと
【蕭殺】秋の末の、非常にものさびしいさま
【吐納】腹中の悪い気を吐き出し、清新の気を吸い込むこと
【横豎】横と縦 横は空間的拡がり、豎は時間的拡がり 空間と時間

『とてもかくても 手裡にあるのは何首烏玉
時は戻しも伸ばせもできず 夢想の中で揺れ動く』

何首烏玉は、タデ科のツルドクダミの根塊で、漢方薬として強壮や
白髪の薬として有名です。
中国に何首烏玉の民話があります。
何田児(かでんじ)は病弱で、58歳になっても独身でした。ある日
何田児は山で、蔓を見つけそれを持ち帰ると、その夜、夢の中に
仙人が現れ、それを食べるように告げます。
何田児が根を粉にし、毎日飲み続けると、身体は丈夫になり、頭髪
も黒くなりました。その後、何田児は妻を娶り、息子も生まれ160
歳まで生きます。何田児の孫は130歳になっても黒髪だったので
「何首烏」と呼ばれました。何は姓、首は頭、烏は黒を意味します。
そして、植物にその名が付きました。

そんな言い伝えはあっても、所詮はただの薬、時を戻したり、定め
の時を伸ばすことなど出来ないので、せめて夢の中に閉じ込めて
揺れるのを見ています。

『覗く紫微垣 碇星
沁みる夜気を横豎に見立て
秋にひとり 思い戯る』

古代中国には283の星座があり、それを大きく分けて28宿と
その周辺の星座が属する『外官』と、北極星を中心に北側の
星座が属する『中官』と、いうのがあります。
中官はさらに『紫微垣』『太微垣』『天市垣』に分かれます。
紫微垣は小熊座を中心とし、北極を囲んだ170余の星から成って
います。また、紫微垣は三垣の中央に位置することから、天帝の
星座を象徴するようになり、天帝の住む場所を「紫宮」と呼ぶ
ようになります。紫禁城はここから名前が付きました。

碇星はカシオペア座の別名で、ギリシャ神話に秋の星座が勢揃いの
話があります。
エチオピアの器量自慢の王妃カシオペアが、うっかり自分の美貌を
鼻にかけ、海の妖精の怒りを買い、娘のアンドロメダを生贄に捧げる
羽目となり、ペガサスに乗って現れたペルセウスが海魔ティアマトに
食べられる寸前に助けたというものです。

雨が上がり、雲の切れ間から覗く星に古人が綴った物語を思い浮かべ
ながら、今この時の空を見上げる。
夜の冷えた空気に触れ、少しは昼の雑念を払い清明な心でいられる
ようで、時間と空間も少し広がったような気がします。

こんなに秋が一杯の夜は、せっかくですから心を許して戯れましょう。
という詩でした。

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2004/09/06

秋さり来れば・・・

いつまで経っても秋の気配は訪れず・・・
それなら自分で秋を引き寄せてみようと書いたのが『秋さり来れば・・・』
です。ちょっと秀吉の気分。(笑)
そう言えば昨年も秋満載の詩を書いた様な気が・・・(爆)

この詩も妙な捻りはなくそのまんまの詩なんですが、すっかり頭の中から
言葉が消え失せていた割にスラスラ書けたので、ちょっと嬉しかったり・・・
秋は朱雀の一番好きな季節で、その季節を感じながら心地よ~く心の中で
他愛のない夢物語に思いを馳せていたりするという単純な内容なのですが、
大抵は秋の爽やかな風にホッとひと心地をつきながら、ずっと秋が続けば
いいのに・・・宝くじでも当たらないかな?そうしたら、一年中秋を追いかけて
旅をするのに・・・などというくだらないことを考えているんですよねぇ~。(笑)

よくそんなしょ~むない事にコロコロと言葉が浮かんで来たなと・・・
最後の一節『暢楽夢譚の栞がわりに 胸に挟(はさ)かう早生(わせ)
の秋』は自分でも凄く気に入っていて、朱雀って天才?と一瞬、自分を
甘やかして見ました。ヲイヲイ・・・

そんな図々しい事を考えて悦に入っていたので、神様の怒りを買ったのか
詩を書いている途中でかなり強い地震が!それも凄く長い時間揺れたん
ですよ。あんなに長いのはきっと生まれて初めて!
そして詩をサイトにUPしようとした途端、2度目の地震がぁ~!
最初のより揺れがキツイぞ~っ!!
揺れている時間は先ほどのより少し短かったようですが、それでも長い!!

神様、ゴメンナサイ!もう二度と身の程知らずな自惚れは致しません!
だから怒りを抑えてください~!!!

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2004/08/18

白日夢

昨日は雨が降った所為で異常に蒸し暑く、もういい加減にして!と叫び
たくなるような今日この頃・・・

脳細胞の半分以上が『暑い!暑い!』と呟いているような気がして、
このままでは詩を書くどころか、言葉がどんどん頭の中から消えてゆく
ような恐ろしさを覚えました。
で、強迫観念にかられながら書いたのが『白日夢』です。(笑)

内容的には暑さにすっかりやられた朱雀の妄想です。
不快感もここまで来ると、だんだん気持ちよくなってきそうな錯覚が
一瞬よぎり、それを無理やり文字に置き換えたような・・・(爆)
最初はもっと陰鬱な単語がズラ~っと並んでいたんですが、書いている
内に腹立たしくなってきて、あれこれ弄っているうちに、全く違う詩に
なってしまいました。
今回はとにかく『詩』というカタチにすることに意義があったので、
深く突っ込まないで下さいね。ホホホ・・・

かなりヘロヘロの状態で書いたので、普段なら絶対使わないような
単語もチラホラ・・・
それがまた新鮮と言えば新鮮なんですが、頭がハッキリしてきたら
無茶苦茶落ち込むかもしれません。
その時はとっとと降ろします。(笑)

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2004/07/24

曲水(わだみ)

毎日毎日、口を開けば暑い!と言う言葉しか出てこない溶け気味の脳で
詩を作りました。(笑)

あまりの暑さに怒りも爆発寸前で、よ~しそれならそれを詩にしてやろう
じゃないか!と作り始めたのですが、天邪鬼な朱雀のことですから、
それに胸の奥に潜む鬱積した思いを混ぜてみると尚いいかもと、くちゅ
くちゅ混ぜてみました。(笑)
で、本当はもっとやり場のない暑っ苦しい詩になるはずだったのですが、
庭の植木に水遣りをしながら怒りをかき集めていたら、トカゲの子供が
もの凄く醒めた目で、チロッと朱雀を睨んで通り過ぎて行ったんです。
んで、一瞬にして悟っちゃったんです!

詩とはトカゲの尻尾なり!(爆)

そんな訳で今回の『曲水(わだみ)』は朱雀にしては、珍しくストレートな
詩になっています。
こんな詩は二度と書けないかもしれません。(笑)

でも、どちらにしても他の人には『なんじゃこりゃ?』と言うものに
なっていると思いますので、息苦しいほどの暑さと千切れたトカゲの
尻尾を感じて頂ければ幸いです。なんじゃそりゃ・・・

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2004/07/08

晩景

4月の終わりに詩を書いて以来、2ヶ月以上も書いていませんでしたが
久し振りに詩を書きました。

今回の詩はいつもと少し違うアプローチで書いてみました。
思い遺しには変わりはないのですが、珍しく心の中にはっきりと一つの
情景があって、それを引き出すような言葉を選んで作りました。
もともとイラスト『昼下がり』を描いていた時に、ずっと垣間見ていた
情景なのですが、解説がわりにちょっと説明を・・・

午後の日差しが傾きかける頃、カーテンを揺らす風に運ばれてくるのは
『昼下がり』に描いたような風景なのですが、あの少女は朱雀ではなく
場所もヨーロッパの少し北の景色なんですね。
ただ、少女の金の髪に透けて見えるのは、朱雀の子供の頃の景色で
夏休みを過ごした祖母の家の井戸で冷やされたファンタだったり、
たったひと夏ですがとても仲の良かった、やはり遠くから遊びに来て
いたお隣の女の子、大きなイチョウの木に留まっていた黒揚羽。
観察日記をつけていた鉢植えの朝顔・・・
そんなものが、次々と浮かんでは消えてゆくんです。

その時の思いや感情を、いつものように硝子の小瓶に詰め込むような
カタチで留めておいても良かったのですが、今回は何故か、またその
景色が違った形で浮かぶようなものを書きたいと思ったので、それに
一番効果のある言葉を連ねました。
といっても、これは朱雀にだけ作用するものなので読んで下さる方には
詩の中の夏の日差しに反射する光を感じて頂ければいいかなと思って
います。
出来れば、その光の中に読んで下さる方のノスタルジックな景色が
映ればいいのですが、朱雀の稚拙な文章では多分無理なので・・・(笑)

イラストを描き終わった後も、ずっと心の中に途切れ途切れの思いの
欠片があったのですが、少し面倒くさくて今まで放って置いたんですね。
それをやっと形に出来て、咽に詰まった小骨がするっと取れた感じです。(笑)

また別の思いもひとつふたつ湧いてきたので、今度はあまり間を空けず
サクサクと詩を作って行きたいと思うのですが出来るでしょうか・・・(爆)

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2004/06/30

短歌の解説など・・・(笑)

手習草子に蛍の短歌を新しく一つ置いたのですが、珍しくここでその
解説など・・・(笑)

『思い蛍』

 白南風(しらはえ)の 空に鳴り満つ 天籟(てんらい)に

 枯朽(こきゅう)の草も 蛍を夢む


まずは語句解説・・・
【白南風】梅雨明けの頃、夏の到来を告げる風で雨雲のかわりに白い
巻雲を呼ぶ風のこと。また黒南風(くろはえ)と言うのもあり、こちらは
梅雨入りの頃のどんよりとした南風のことを指す。
そして晴れるのが白南風、曇ったり雨が降ったりするのが黒南風。

【天籟】天然に発する音。風が物にあたって鳴る音。

【枯朽】枯れくちること。枯れて腐ること。

陰暦で季候の変化を示したものに七十二候と言うのがあります。
これは五日を一候、三候を一気、六候を一ケ月とし、二十四気すなわち
一年間を七二分して季候の変化を示したものです。
それに照らし合わせると、今年の場合、6月は6/1~6/15迄が『芒種』、
6/16~7/1迄が『夏至』という節気になり、更にそれぞれ初候、次候、
末候と3つに分かれるのですが、『芒種』の次候は『腐草為螢(くされ
たるくさほたるとなる)と言います。
これは古代中国の経書で、月々の風物や年間に行なわれる政事、儀式
などを月の順に記録した『礼記-月令』の中にある言葉から取ったもので、
この時期、草がむれて腐り、それが蛍と化して夕闇を知り光を発し始める
というものです。

と言うわけで、枯れて腐った草が青空の下、風に乗って響き渡る天然の
音を聞きながら、自分もいつか蛍になることを夢見ているという歌で
ございました。(笑)
解説が長いわりに深い意味はありません!!脱兎・・・

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2004/04/27

玲瓏~玉もゆららに~

POEMにUPした『玲瓏~玉もゆららに~』は、『鈴慕』のサナギの音に
魂を振り、思いを寄せて下さった方たちがおこして下さった細波が
朱雀の思いとぶつかったり、溶け合ったりしながら出来たもう一つの
カタチです。
続編と言う訳ではないのですが『鈴慕』がなければきっと書けなかった
詩だと思います。
『鈴慕』に込めた思いは様々な波紋を生み、改めて朱雀の『言の葉を綴る
意味』と言うものを再確認できたような気がします。

そして朱雀の『思い遺しの言の葉綴り』として作った作品は、それ以上
でもそれ以下でもないので、願わくば、読んで下さる方にもそれだけを
感じて頂きたいなぁと・・・
思いを綴った言葉の欠片に、間違いとか、正しいとか、良いとか、悪い
とかそういうものは一切ないと思います。
ただ自分の中にある思いと触れて、心地良いかそうでないかと言うだけで
いいんです。
何となく気持ちいいとか、ちょっとやな感じぃ~とか、そういう風に
感じて頂ければ嬉しいです。

こうして自分の中ではっきり明確になってくると、天邪鬼な朱雀は
今度は、『思い遺しの言の葉綴り』とは別に、ちょっと文学を意識した
『詩』でも作って見ようかななんて思ったり・・・フフフ
徹底的にフェイクで様式美に拘ったりなんかして・・・(爆)
またそんなものが出来上がれば、どこかにこっそりUPしてお目にかける
ことがあるかも知れません。

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2004/04/23

鈴慕

Poemに『鈴慕』をUPしました。
これは先日の日記でぼやいた事の自分なりの回答というか、開き直りで
書いたモノです。(笑)
その開き直りがいいのか、抜け落ちていた最後のピースが収まったような
とても満足がゆくものモノが書けました。
で、朱雀が満足していると言う事は多分、分りにくいという事で解説を。(爆)

まず全体にあるのが今、朱雀のスパイラルの中心にあるサナギ(鐸)です。
サナギは前にも日記に書きましたが、今でいう鈴の事で昆虫の蛹も同意です。
またサナは真空、ナギは凪ぎという意味もあり、サナギを木に掛け真空
状態で凪いでいると、そこに風が入りその音を聞いて魂を振るわせたり
鎮めたりします。
そしてそんなふうに精神を変化させるものを『タマ』と言い、魂の元の形
と言われています。

タイトルの鈴慕はサナギの音を慕って作ったという伝説がある尺八の
曲名で恋慕から転じたという説も。

いまだ名もなき形を孕み

『名』やサナギのナには形態という意味もあり、形もそうです。

真空妙有の現に凪ぐ

真空妙有は仏教の言葉で、本当の『空』を正面から捉え、空の奥底を
探ると不思議な何かが感じられ、それを悟ると空と有の区別が消え
すべてを一つに感じることが出来るというもの。
現は虚、空洞(ウツ)と同意の空っぽという意で、サナの真空も同じ、
凪ぐもサナギのナギです。

腫れた日常穿つがごとく

この腫れは民俗学の『ハレ(晴れ)』と『ケ(褻)』のハレで、本来は
『日常態』がケ、『非日常態』がハレですが、敢えてねじっています。
サナギを木に掛けて待っている状態もケです。

瓊枝に掛けた鐸鈴が
シャラン シャリリと音連れて
シャラン シャリリと霊を揺る

瓊枝は玉がなるという伝説の木の枝、鐸鈴はサナギの事。
音連れは『訪れ』の意で、サナギは木に掛けて待っていると神の訪れを
告げます。この時、神は鈴の音を連れてやってくることから、音連れ
=訪れに。
霊はサナギに籠るものの意。

い繋る言の葉 依り代に
褻にも晴れにも
奔放不羈な魂を刻まん

い繋るは鎖のように繋がるという意。依り代の『代』は代行する物
媒介するメディア。
褻にも晴れにもは、良いにも悪いにも、後にも先にも、いつでもの意。
奔放不羈は束縛されない自由な、という意味で使っています。
魂はサナギに籠るタマで、それを変化させるタマでもあります。

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