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2004/04/23

鈴慕

Poemに『鈴慕』をUPしました。
これは先日の日記でぼやいた事の自分なりの回答というか、開き直りで
書いたモノです。(笑)
その開き直りがいいのか、抜け落ちていた最後のピースが収まったような
とても満足がゆくものモノが書けました。
で、朱雀が満足していると言う事は多分、分りにくいという事で解説を。(爆)

まず全体にあるのが今、朱雀のスパイラルの中心にあるサナギ(鐸)です。
サナギは前にも日記に書きましたが、今でいう鈴の事で昆虫の蛹も同意です。
またサナは真空、ナギは凪ぎという意味もあり、サナギを木に掛け真空
状態で凪いでいると、そこに風が入りその音を聞いて魂を振るわせたり
鎮めたりします。
そしてそんなふうに精神を変化させるものを『タマ』と言い、魂の元の形
と言われています。

タイトルの鈴慕はサナギの音を慕って作ったという伝説がある尺八の
曲名で恋慕から転じたという説も。

いまだ名もなき形を孕み

『名』やサナギのナには形態という意味もあり、形もそうです。

真空妙有の現に凪ぐ

真空妙有は仏教の言葉で、本当の『空』を正面から捉え、空の奥底を
探ると不思議な何かが感じられ、それを悟ると空と有の区別が消え
すべてを一つに感じることが出来るというもの。
現は虚、空洞(ウツ)と同意の空っぽという意で、サナの真空も同じ、
凪ぐもサナギのナギです。

腫れた日常穿つがごとく

この腫れは民俗学の『ハレ(晴れ)』と『ケ(褻)』のハレで、本来は
『日常態』がケ、『非日常態』がハレですが、敢えてねじっています。
サナギを木に掛けて待っている状態もケです。

瓊枝に掛けた鐸鈴が
シャラン シャリリと音連れて
シャラン シャリリと霊を揺る

瓊枝は玉がなるという伝説の木の枝、鐸鈴はサナギの事。
音連れは『訪れ』の意で、サナギは木に掛けて待っていると神の訪れを
告げます。この時、神は鈴の音を連れてやってくることから、音連れ
=訪れに。
霊はサナギに籠るものの意。

い繋る言の葉 依り代に
褻にも晴れにも
奔放不羈な魂を刻まん

い繋るは鎖のように繋がるという意。依り代の『代』は代行する物
媒介するメディア。
褻にも晴れにもは、良いにも悪いにも、後にも先にも、いつでもの意。
奔放不羈は束縛されない自由な、という意味で使っています。
魂はサナギに籠るタマで、それを変化させるタマでもあります。

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