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2004/03/31

『夕霧ふみ』の話

今日、京都にお花見に行ったご近所さんから『八ツ橋』をお土産に頂き
ました。
つぶ餡をニッキの香りの薄皮に挟んだあの和菓子ですね。
で、その八ツ橋の名前が歌舞伎銘菓「夕霧」といい、中に『夕霧ふみ』
なるものが入っていました。

『夕霧ふみ』というのは、歌舞伎『廓文章』で有名な遊女・夕霧太夫が
書いた『待つ春のふみ』という手紙のことで、夕霧は扇屋四郎兵衛の
抱え遊女で実在の人物です。
当時の吉原には遊女が4000人ほどいましたが、その中で美しさは勿論
芸事の他に武家や公家などの相手を務めるだけの教養を兼ね備えた
最上級の遊女は僅か20名ほどしかいませんでした。
その最上級の遊女の事を太夫と呼び、中でも夕霧太夫は「才・色・品・情」
をあわせ持った太夫と言われています。
この夕霧太夫が書いた『待つ春のふみ』は、太夫の才能と人柄が表れて
いる美しい文章で綴られ、これを着物の袖に縫い込むと、生涯着物に
不自由しないと伝えられているのだそうです。
お菓子のオマケ?にしては、なかなか粋な演出ですね。

また歌舞伎の『廓文章』は近松門左衛門の人形浄瑠璃『夕霧阿波鳴渡』が
原作で、上方和事の典型と言われています。

大晦日に大坂新町の廓にある吉田屋に、豪商藤屋の若旦那・伊左衛門が
なんともみすぼらしい身なりでやってきます。
遊女夕霧に惚れ込み通い詰め、遊蕩ゆえに勘当された伊左衛門は遊ぶ金
などないのですが、夕霧が病気と聞いて来てしまったのだと言います。
そんな伊左衛門を吉田屋は快く座敷に上げてくれますが、阿波のお大尽
のお座敷に呼ばれ、なかなか自分のもとに来てくれない夕霧に嫉妬した
伊左衛門は、ようやくあらわれた夕霧にも拗ねて、痴話喧嘩になって
しまいます。
そこへ伊左衛門の勘当が解けたという知らせとともに、夕霧を身請け
するための千両箱が運びこまれ、ハッピーエンドで終るお話です。

実際には、近松門左衛門がその美しさに惚れ込んだという夕霧太夫は
扇屋が京都島原廓から大阪新町廓に移ったのを機に、名妓夕霧として
大阪髄一の人気を誇ったと言われていますが、病のため僅か26歳で
その生涯を閉じています。 
歌舞伎のお話のように身請けはされず、遊女のままで亡くなったよう
です。美人薄命・・・

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