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2003/11/02

ルキノ・ヴィスコンティの話

今日は、イタリアの映画監督ルキノ・ヴィスコンティの生まれた日です。
貴族の家庭に生まれたヴィスコンティは、幼い頃から芸術に触れて
生活し1942年「郵便配達は二度ベルを鳴らす」で映画監督デビューを
果たします。
初期の作品ではイタリアの南部問題を取り上げ「ネオ・レアリスモ」の
一翼を担い、その作風から「赤い公爵」と呼ばれます。
また「ベニスに死す」「地獄に堕ちた勇者ども」「ルードウィヒ」は『ドイツ
(退廃)三部作』と呼ばれ、豪華絢爛に究極の耽美世界やデカダンスを
描き出しています。1976年に自宅でインフルエンザの為死去しますが
ヴィスコンティらしく、花に囲まれ、ブラームスの第2交響曲を聞き終
わってからの旅立ちだったそうです。

またヴィスコンティの正式名はヴィスコンティ・ディ・モドローネといい
ルキノはモドローネ公爵ジュゼッペ・ヴィスコンティとカルラ・エルバの
間に誕生しています。
イタリア語でヴィスコンテは子爵を意味し、その複数形のヴィスコンティ
が家名になるほどの、由緒正しい一族です。

ヴィスコンティ家は12世紀、神聖ローマ帝国のフリードリッヒが、ロンバル
ディアに攻め込んだ際、それを打ち破る中心となり、14世紀にミラノ公
の称号を与えられ、北イタリアの支配者として富と権力を握ります。
娘婿のフランシスコ・スフォルツァは今もミラノに残るスフォルツァ城を
建て、また、その息子のルドヴィーコ・イル・モーロはレオナルド・ダ・
ヴィンチを庇護していました。
ルキノの祖父グイドはスカラ座のパトロンで、ヴィスコンティ家がスカラ座
の1階左側4番の桟敷席を所有していた話は有名です。
こんな名家の出身であるヴィスコンティは、妥協を知らない完璧主義で
映画の撮影に自分の所有する城を使ったほどです。

昔、淀川長治さんは、ヴィスコンティ作品について、コクトーもルネ・クレマン
もその作品を解くまでもなく、確たるホモを意識するが、ヴィスコンティは
彼らのようにそれを美しく密やかに画面に流し、彼らと私たちで密かに
楽しむと言う芸術風の戯事は出来ない。
恥じ入り、もがき、抵抗しながら、ホモセクシャルに浸る。
それ故、どの作品を見てもその愛の哀れが胸を刺す、と仰っています。
ヴィスコンティの死に慟哭するヘルムート・バーガーを見ると、まさに
その通りという気がします。

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