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2003/10/22

今日は『中原中也忌』

今日は中原中也忌です。
夭折の天才詩人、中原中也は30歳の若さで亡くなりました。

朱雀は中也の詩に出会わなければ、きっと詩を書く事はなかったと思い
ます。
中也に対する思いは、以前『問わず語り』にも書いたのですが、中也の
詩から本当に沢山の事を学びました。
言葉の美しさ、悲しさ、痛さ、そしてやり切れなさ。
ドクンドクンと『言葉』が呼吸しているようで、まるで生き物のような詩は
何度読んでも、褪せることなく心の中に波紋を広げます。

中也の詩を読んでいると、会った事もない中也が、少し背中を丸め
座卓に向かい泣き出しそうな顔で、詩を書き殴っていたり、畳に寝そ
べって、擦り切れた畳の縁をぼんやり眺めていたかと思うとおもむろに
身体を起こし、じっと紙を見つめてまた寝転がる、そんな姿がなぜか
浮かんできます。
そして「お道化うた」や「また来ん春…」などの詩を読むと、堪らなく
胸が締め付けられて、涙がぼろぼろ溢れてきます。

また来ん春…

また来ん春と人は云ふ
しかし私は辛いのだ
春が来たつて何になろ
あの子が返つて来るぢやない

おもへば今年の五月には
おまへを抱いて動物園
象を見せても猫(にやあ)といひ
鳥を見せても猫(にやあ)だつた

最後に見せた鹿だけは
角によつぽど惹かれてか
何とも云はず眺めてた

ほんにおまへもあの時は
此の世の光のたゞ中に
立つて眺めてゐたつけが…

中也の中にある、ゼンマイ仕掛けの人形のようにギクシャクとした人に
対する違和感は、文也の誕生で自分も人なのだという安堵感と共に
和らぎ、また自分の思いがけない愛情を発見しそれに酔い、どれほどの
幸福を噛締めていたことか。
それを死という形で失い、精神まで病んでしまうほどの悲しみと痛みと
喪失感は如何ばかりだったでしょう。

この詩を読むと、自分の肉を抉りそこから滴る血で書いた詩は、なんて
穏やかで優しいのだろうと思ってしまいます。
そして、不器用に息子を抱き、きっと今まで面白いと思った事もない
動物園で象だ、鳥だとまるで初めて見るような新鮮さで動物を指差し
いとおしげに息子を眺める中也が浮かんできて、留まることのない悲し
みと痛みが「春」の中から「猫」の中から、全ての言葉の中から溢れて
きます。

中也のような詩はとても書けませんが、朱雀もせめて自分の思いが甦る
ような詩が書ければと思っています。

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