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2003/10/17

『ラストエンペラーと弟』の話

今日は中国最後の皇帝、愛新覚羅溥儀の命日です。
映画「ラストエンペラー」で描かれた、時代に翻弄され波乱に満ちた
溥儀の生涯は、なんともやるせなく、溜息しか出てきませんが、この
溥儀にはラストエンペラーの他に、もうひとつ『火龍』という呼び名が
あります。

中国では歴代皇帝は死後、土葬にするのが常識ですが、溥儀は1人の
人民として死を迎え、火葬にされました。
そのことから歴史上で初めて火葬にされた皇帝として『火龍』の呼び名
が付いています。
火龍の意味はよく分りませんが、わずか3歳で皇帝となり以後、傀儡の
操り人形でありつづけ、退位してなお中国共産党に背後を固められ、
人民として最後を迎えた溥儀にはなんだか似合わない呼び名に思えます。

また、溥儀には同じように波乱の人生を送った溥傑という弟がいました。
この溥傑は日本との係わりが深く、千葉県の稲毛には夫人の浩(ひろ)
と新婚時代を過ごした家が今も残っています。

溥傑が日本に留学していた昭和7年に満州国が建国され、兄の溥儀が
帝位に就きます。
その時、溥傑に嵯峨公爵の長女、浩との結婚話が持ち上がります。
これらはすべて日本軍の謀略なのですが、溥傑は日満親善のため
浩と結婚します。
その後、中国に帰国した溥傑と浩を待っていたのは、流転の日々でした。
日本の敗戦により満州国は解体、溥傑はソビエトの捕虜となり、浩も
八路軍に拘禁されます。
特赦により解放されるまで収容所生活は続き、戦犯となった溥傑を
中国に残して日本に帰国していた浩は溥傑解放の翌年、漸く中国に
帰ることが許され再会を果たしますが、一家で暮らすことが決まった
矢先、当時19歳の長女の慧生が伊豆の山中で同級生の大久保武道と
ピストル心中事件を起こし、溥傑は収容所の中で慧生の死を知ります。

その後、溥傑と浩は日中親善に尽くし、日中国交回復後に来日した際
二人で稲毛を訪れて、ここで暮らした頃が一生の内で一番楽しかったと
語ったそうです。

溥傑は今、嵯峨家の先祖を祀る下関中山神社の愛新覚羅社で夫人の
浩や慧生と共に眠っています。
また、慧生と心中した武道の大久保家は慧生の分骨を申し入れますが
愛新覚羅家はこれを拒否し、武道の墓石には慧生の戒名が刻まれ、
墓には爪と遺髪だけが入っているそうです。

なんだか、本当に切な過ぎる一族ですね。

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