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2003年10月

2003/10/31

ケルト頌詩(ソーウィンに寄せて)-2

続きです・・・

余所者の名を受けて なお 
戦い続けたガりアの民は
苦衷に満ちた悲哀の底で
蒼茫のドナウを瞳に刻む
追憶の念はサフラン色の炎となりて
被髪の先に光り輝く

古代ヨーロッパで繁栄した先住民族ケルトはヨーロッパ全土で繁栄し
ドナウ川やパリ、ロンドンなどの名前もケルトの部族名やケルト語に由来
しています。
そして、元々は、ガリア人、ガラテヤ人と呼ばれていましたが、ゲルマン
人やローマ人の侵略により衰退するにつれ「ケルトイ(よそ者を意味する)」
と呼ばれるようになってゆきます。
ケルト人は魂の不滅を信じ、自然を崇拝し、それぞれに宿る数多の神や
生霊を信仰していましたが、その一方で死をも恐れない勇敢な戦士でも
ありました。
身体的には、長身で、色白、金髪そして青い眼という特徴があり、ここでは
それをケルト神話の第一人者イエイツの言葉とかけて表現してみました。

泡沫の夢に微睡ながら
山査子の枝を 手折った罪に
ブルーベルの花が鳴り
銀蛇の卵を懐に入れ
変わらぬ夜明けを迎えたら
豊さかのぼる朝日の下で
窓辺に万謝のミルクを置こう

この節はケルト民話をベースにしています。
妖精は赤や白の花をつける木(サンザシやナナカマドなど)の下で踊るの
が好きで、それらを切って家の中に持ちこむと、妖精の怒りを買うと言わ
れています。
ブルーベルの花が鳴るのを聞くと、それは自分の弔いの鐘とされ、ブルー
ベルの森に子供が迷いこむと、二度と見つからないという言い伝えがあり
ます。
そして、ケルトでは、身を守るのにドルイド僧の護符よりも「蛇の卵」が一番
だとされていました。これは卵は宇宙の発生を、蛇は転生と永遠の再生の
シンボルとされていたからです。

また、家に良いことがあると、それはエルフ(妖精)のおかげとされ、窓辺に
感謝の印としてミルクが置く風習が今もアイルランドに残っています。

そこら辺の言い伝えや民話をごちゃ混ぜにしてみました。(笑い)

タイトルに使ったソーウィンは、闇ゲール語で夏の終わりの意味です。
延々と解説を書きましたが、要はケルト好きの朱雀の与太話です。
取りあえずハロウィンって事ですね。ハイ。

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ケルト頌詩(ソーウィンに寄せて)-1

ポエムにハロウィンに因んだ詩を置きました。
ケルトに興味のない人には全く何のことか分らない詩なので解説を。(笑)

冬の初めのサムハイン
闇の王子が陽の神を追い
黄泉より出でし魂は
暗夜を駆ける猫となり
白金色の雫をすする

ケルト人は季節を冬と夏の2季で考え仕事と休養時を定め、農作物を育み
ます。そして11月1日に新年を祝うのですが、これがハロウィンの起源と
なるサムハインの祭りです。
そして、冬の間に太陽神が死者の王と暗闇の王子サムハインによって連れ
去られ囚人になると信じられており、新年の前夜に、呼び集められた死者が
様々な形となって、人々の前に現れるとされていて、その多くが猫の形を
しています。
人々は、この神々を宥めるため生贄を必要だと信じており、食べ物を捧
げたり、大きなかがり火を焚き悪霊を追い払おうとしていました。

さぁさ真っ赤に火を燃やせ
樫の木杖を振るう賢者は
呪詛に呑まれる真金の舟に
櫂を投げ込み七孔を塞ぐ

古代ケルトではドルイドと呼ばれる司祭が中心の原始宗教が信仰されて
おり、ドルイド僧は魔力を持つ「樫の杖」と宿り木を切るための黄金の
鎌を持っています。
ドルイドはドゥル(樫木)とウィド(知恵)の合成語で『樫の樹の賢者』と
いう意味です。
ドルイド僧は、樫の生い茂る丘の上で新しい火を燃やし、農作物と動物を
神に捧げ、火の周りを踊ります。そして太陽の季節が過ぎ去り、暗闇の季節
の始まりを知らせます。
またサムハインとは関係ありませんが、海の神マナナーン・マク・リルが
呪力で幻影を出現させ、英雄たちを海底に引きずり込むと言う伝説を
ちょっと絡めてみました。この英雄の乗った黄金の船は両側に7コづつ
オールを入れる穴があり、これは人間の体の7つの孔を表します。

点と線で綴る詞に御霊は宿らず――
吟遊詩人は竪琴にのせ
夢想に踊る妖精の
無念の嘆きを戯に歌い
倫理を纏った語部は
月星を読み逸史を語る

ケルト人はオガム文字という点と線で構成された文字を使用していましたが
文字を持たないというのが定説だったほど文字による記述よりゲール語での
口承文化が発達していました。
またケルト人は国家を持たず部族単位で生活していましたが、部族を超える
存在として、ドルイド(僧)を頂点に、フィーリ(語り部)、バルド(吟遊詩人)が
おり一種の神権政治を行っていました。

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2003/10/28

『荒びゆく・・・』

今、俊さんちで開催されている連詩用に詩や歌を創ったのですが、
タイミングが悪くて2度も投稿できませんでした。
朱雀はなんでも、創るのが遅いので、仕方ないですねぇ・・・(笑)
で、三度目の正直で、やっと詩を投稿する事が出来ました☆

今回の連詩は、和歌と10行詩を交互に繋いでゆくというもので、一つ前の
作品の中から一言取って『題』にするという決りがあります。
なので、朱雀は、先に詠まれていた和歌の中から『荒(すさ)びゆく』
というのを頂いて詩を創りました。

『荒びゆく・・・』

摩滅した石段に 腰をおろし
崩落寸前の 諦念を抱え
なおも わりない悶えを 弄(もてあそ)ぶ

掠めるような 眦(まなじり)に脅え
きつく閉じた 瞼の裏側には
一つ覚の 諒(りょう)が貼り付き
嗤笑(ししょう)まじりの 空答(そらごたえ)

鴻荒より射す 幸福の影を踏み越すには
まだ 枷が多すぎる
淵中(えんちゅう)の珠は ただ 荒びゆく・・・


内容的には、またえらく暗い感じになってしまいました。
でも、前にBBSに掲載した『祭囃子』より纏まりが良いかな、と自分
では思っているのですが、どうでしょ?

『祭囃子』もそうですが、10行詩や、題を決めてから詩を創るというのに
中々慣れなくて、いつも書いている詩とは、ちょっと違う感じがする
のでこれもPOEMにUPせずにこちらに置きました。

でも、最近なんでこんな暗い詩しか書けないんでしょうねぇ・・・
本人は結構ごきげんさんで、特に悩みもないって言うのに。
いや、自覚がないだけで、もの凄い悩みがあるのかもしれない!なんて
思いながら、俵屋吉富の期間限定の栗饅頭をパク付いています。(笑)
まあ、物思いに更ける秋だからということにしておきましょう・・・

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2003/10/27

キャプテン・クックの話

今日はイギリスの大航海者、キャプテン・クックことジェームス・クックが
生まれた日です。

ヨークシャーの貧しい家庭に生れたクックは16歳で、食料雑貨商へ
奉公に行き、そこで船員たちと知り合いになります。
18歳の時、石炭運搬船に乗り込み、航海術を身につけ27歳でイギリス
海軍に仕官します。
折りしも勃発した英仏戦争で頭角を現したクックは、艦長に昇進し
北アメリカのケベック攻防戦にも参戦します。
その後、金星観測の調査隊エンデバー号の艦長に選ばれ、初めて
太平洋への航海に赴き、金星の観測に成功し、更にはニュージーランド
オーストラリア東岸、ニューギニア南岸などを探検し、西回りの世界一周
の航海を達成します。
その後も、キャプテンとして3回の航海を続け、南極圏や西南太平洋諸島
ハワイ諸島、北氷洋などの多くの未開発の場所を調査しました。
そして、最後の航海で訪れたハワイで、島民に殺害されてしまいます。

クック一行がハワイを訪れたのは、島民が信仰する豊作と幸福の神
ロノ神に捧げる収穫祭を行っている最中で、そこにロノ神がカヌーに
乗って去っていったとされる海から、見たこともない船でやって来た奇妙な
服装のクックたちを、島民は神の化身と思い込みます。
クック一行は島民に大歓迎で迎えられ、祭りの儀式に参列し、最大限の
もてなしを受けました。
三週間後、クック一行は島を離れることになり出航しますが、すぐ、船の
帆柱にヒビが入っている事に気付き、修理のため湾に引き返します。
何故、ロノ神が戻って来たのかという神官や戦士たちの疑問の中、船は
停泊し修理をしていましたが、マストの修理中に船員のひとりが事故で
亡くなってしまいます。
不死であるはずのロノ神の使いが死んだ事で、それを見ていた島民に
クック達がロノ神の使いではないと言う事が解ってしまいます。
運悪く、戦いの神クー神の戦闘的なシーズンに入った島民の中には、
クックたちの荷物を盗む者も出始め、それがもとで両者の間に争いが
起こり、クックはその争いに巻き込まれて死んでしまいます。
なんだか昔話のような話ですね。

また、今年の3月、この時クックを殺害した槍の柄の部分が、スコット
ランドのエディンバラで競売に掛けられ、2565万円で個人収集家に
落札されたそうです。
その槍の柄を誰が、本物と認定したんでしょうね。(笑)

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2003/10/26

『美しき天然』の話

今日はサーカスの日です。
これは1871年にフランスのスリエサーカスが日本で初めて洋風のサーカス
を興行したのを記念して制定されました。

今のサーカスは、とても大掛かりなものが主流ですがサーカスと聞くと、
朱雀はどうしても物悲しいあのメロディを思い浮かべてしまいます。
『美しき天然(天然の美)』と言う曲なんですが、ご存知ですか?
チンドン屋さんの曲といった方が分りやすいかも。

この曲には歌詞がありますが、朱雀も少ししか知らなかったので
ちょっと調べてみました。
曲は、明治35年に創設された私立佐世保女子学校で音楽教師をしていた
佐世保海軍軍隊長、田中穂積が女子生徒の音楽教材として、滝廉太郎の
『花』の作詞者でもある武島羽衣の詩に合わせ美しい佐世保の九十九島
の情景をイメージして作ったそうです。

後にこの曲は、朝鮮半島からロシア、沿海州に流れ流れて、たどり着
いた高麗人(コリョサム)が流浪と追放の歴史の記憶をたどりながら
望郷の念を込めた自国の歌として、タイトルを変え、中央アジアで盛ん
に歌われるようになります。
またこの歌は救世軍歌としても、盛んに歌われていたそうです。

天然の美

空にさえずる鳥の声
峯より落つる滝の音
大波小波とうとうと
響き絶えせぬ海の音
聞けや人々面白き
此の天然の音楽を
調べ自在に弾き給う
神の御手の尊しや

春は桜のあや衣
秋は紅葉の唐錦
夏は涼しき月の絹
冬は真白き雪の布
見よや人々美しき
この天然の織物を
手際見事に織りたもう
神のたくみの尊しや

うす墨ひける四方の山
くれない匂う横がすみ
海辺はるかにうち続く
青松白砂の美しさ
見よや人々たぐいなき
この天然のうつしえを
筆も及ばずかきたもう
神の力の尊しや

朝に起る雲の殿
夕べにかかる虹の橋
晴れたる空を見渡せば
青天井に似たるかな
仰げ人々珍しき
此の天然の建築を
かく広大にたてたもう
神の御業の尊しや

この詩で讃えられているのは神道の神ではなく、キリスト教的な天地を
創造した神だと言われています。作詞家の羽衣の奥さんが、熱心な
クリスチャンで、その影響から、神の創造を讃えるこの歌が出来たの
ではないかということです。
この歌詞の美しさと曲の物悲しさはなんともいえないですね。凄すぎ!
でも、それが何故、サーカスやチンドン屋で使われるようになったのかは
分かりませんでした。

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2003/10/25

稲垣足穂の話

今日は作家・稲垣足穂の命日です。
1900年、大阪・船場に生まれたタルホは、博物学や天文学に熱中し、
12歳の時、須磨天神浜でアメリカ人飛行家の水上飛行を見て、飛行家
になることを夢見ます。大学生の頃、友人と「飛行画報」という同人誌を
発行し創作をはじめる一方、ホモセクシャルに目覚めます。
卒業後、飛行家になるために上京しますが、果たせず、作家活動を
はじめ、後に、男色という共通の趣味をもつ江戸川乱歩との交友や、
石川淳、伊藤整との交友の中でキラキラ感、宇宙嗜好、少年愛、ヒコーキ
など独特のイメージに富んだ作品を創作します。
1977年、結腸癌で死去しています。

稲垣足穂は、朱雀が大好きなルナを代表する(?)作家ですが、この人に
ついて、どうこう言うのは何故か憚られてしまいます。
なんか、言葉が追いつかないって言う感じ?

タルホに興味のある方は『一千一秒倶楽部』というサイトがあるのですが
こちらを覗いて見てください。こちらはタルホ・ワールド全開です。(笑)

■http://www2u.biglobe.ne.jp/~harvest/taruho/index.html■

タルホの作品の中でも朱雀が特に好きなのが、以前、日記でも紹介した
『一千一秒物語』で、これはもう何度読んだか分りません。
この本について、別冊一億人の昭和史『昭和文学作家史』という本の
中にとても的を得ている解説があったので引用します。

星や月は、男(タルホの化身?)から攻撃される。しかし、彼ら(星や月)
だって黙ってはいない。男の持ち物を隠したり、部屋に侵入して脅かし
たり、突き飛ばしたり・・・やれやれである。(笑)。
この物語は、誰もがもっているだろう(しかし、それは心の奥底に押し込め
ておかなくてはならない)ナルシスティックな攻撃性を解放してくれるようだ。
だから、読んでいて爽快なんだろうと思う。そして、その解放された攻撃
エネルギーは宇宙空間に飛び散るので、いたって無害。 
分かった! これがファンタジーの効用だ。

そして、タルホ自身も「私が折りにふれてつづってきたのは、すべてこの
『一千一秒物語』の解説に他ならない」と言っているとおり、この本は
タルホ文学の核となる作品です。

まだ、読まれたことのない方は、是非、読んでみてください。

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2003/10/24

日記その2-俳句をちょっと・・・

チョコチョコと詠んだ俳句があったので、こちらに纏めておこうかなと・・・


野分立ち 風に傾(かたぶ)く 群薄(むらすすき)

ぞっき本 並べて秋の 夜長かな

巌桂(がんけい)の 白花散らし 暮れる秋

したひ山 映す湖面に 下焦(したこが)る


黄落(こうらく)に こころ連舞う 秋の宴

抜ける秋 高飛ぶ鳥も 瑠璃となり


上から四句はどれも、俊さんちの『唐衣』で詠んだ句です。
唐衣は、謎の言葉を当てる言葉遊びなのですが、その言葉の内の一文字
がランダムに表示されていて、それを最初の一音に使って俳句か川柳を
詠みます。
誰かが一句詠むと、別の一文字がまた表示されます。
そうして、出てくる文字を並べ替えて謎の言葉をあてるのですが、一句詠ま
ないと解答できません。

この四句目は、「な」で始まる句が先に詠まれていて、朱雀は次に出てきた
「し」で始まるこの句を詠んだのですが、謎の言葉は6文字で、ヒントは
『これは・・・さびしい!』でした。そこで、朱雀は見事(?)に謎の言葉
『なしのつぶて』を当てました!(笑)
正解すると次の問題の出題が出来るので、今、朱雀の考えた問題が進行中
です。
興味のある方は是非、参加して下さいね。
俊さんのサイト『ちよつづり』へはうちのリンクページから飛べます。


後の二句は、『日本WEB詩人会』(通称ぽえ会)で、香夜さんが詠まれた
俳句の本歌取りで詠んだものです。
香夜さんの俳句は「ぽえわか」というコーナーにあります。
朱雀も「ぽえわか」には短歌を投稿しています。
そして、「ぽえいち」というコーナーには詩を投稿しています。

日本WEB詩人会→http://www.poet.jp/


この日記って一日にひとつしか書けないと今まで思ってました。(笑)
それで1000文字にこだわってきたのに、何だったんだろ・・・
でも、そんなにダラダラ書いても仕方がないので、これまで通り
1000文字の日記にしようっと。

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日記その1-トリコロールの話

今日はフランスのトリコロール記念日です。
これは1794年、フランス国民公会が、現在フランスの国旗となっている
『トリコロール』を国家の象徴と定めた事によるものです。

トリコロールとはフランス語で三色という意味で、トリ(tri)は3、コロール
(colore)は色と言う意味です。
トリコロールは、青・白・赤の三色で、これはフランス革命時にスローガン
として掲げられた「自由・平等・博愛」を象徴しています。
これは、色そのものに意味があるのではなく、三色で三つの意味を象徴
しています。

元は1789年、国民軍司令官にラファイエットが任命された際、パリ市の
色である赤と青の間に、「市民と王家が協力して新しい国を作るべき」と、
ブルボン家の色である白を挟んだ3色を国民軍の帽章に採用したのが
始まりで、この三色旗は国民軍のシンボルとなりました。

また青、白、赤の三色といえば、理髪店の三色看板(バーバーズ・ポール)
があります。
赤は動脈、青は静脈、白は包帯を表すと一般にいわれていますが、実際は
少し違うようです。
理髪師は中世の頃、修道院などで、髪や髭を切る他に、静脈から血を
少し抜き出す瀉血(しゃけつ)という治療や、やけどや骨折、抜歯などの
治療も行っており、当時は理髪外科医と呼ばれていました。
最初、理髪店の目印として、店頭に血を集める皿が吊されていたのですが
それはすぐに禁止されました。
瀉血の際、患者は棒を握り、腕から出た血は受け皿で受けるようになって
いましたが、棒に血が垂れることも多かった為、棒は最初から真っ赤に
染められており、この棒がバーバーズ・ポールと呼ばれるようになります。
また治療のあと、止血のため包帯を巻いていましたが、当時、包帯は
非常に貴重で、何度も洗って、再利用していました。
バーバーズ・ポールを軒先にさし、そこに包帯を巻き付けて干したこと
からやがて、紅白の螺旋模様のポールが理髪店の看板となりました。
そして、理髪師と外科医の組合が分離したのがきっかけに、1745年、
イギリスで、理髪師は赤・青・白の看板、外科は紅白の看板を掲げる
ように決められ、今のような3色になったそうです。

フランスの人は国の象徴であるトリコロールと理髪店の看板の色が同じ
ということにあまり違和感は無いんでしょうか?(笑)

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2003/10/23

『ヒエログリフ』の話

今日はフランスのエジプト学者シャンボリオンが生まれた日です。
シャンボリオンは、古代エジプトのヒエログリフ(神聖文字)を解読した
人です。

ヒエログリフは、エジプトで「神の言葉の文字」や「生命の家の文字」と
呼ばれ、紀元前3000年頃から、3000年以上に渡りほとんど変わらず
用いられた文字で、主に、神殿や墓の碑文などを書くのに用いられて
いました。
ヒエログリフは装飾的で、実用的ではなかった為、これを簡略化した
ヒエラティック(神官文字)が発明され、末期王朝時代には、ヒエラ
ティックを崩し簡略化したデモティック(民用文字)が使われるように
なります。ところが、紀元前30年にエジプトがローマの支配下に入ると
ヒエログリフは次第に使われなくなり、忘れ去られてゆきます。
長い年月が過ぎ、1799年、ナポレオンがエジプト遠征でエジプトに上陸
した際、ひとりの兵士が、ナイル川の河口の町ロゼッタで、文字らしい
ものが刻まれた1枚の石を発見します。
これは後にロゼッタストーンと呼ばれる石で、この石の表面は三段に
区切られ3種類の文字(ヒエログリフ、デモティック、古代ギリシア)が
刻まれていました。
シャンボリオンはこの碑文と、アスワンで発見されたオベリスクをもとに
ギリシャ文字やコプト語の知識を生かし解読に成功します。
また、この解読法がより古い時代のものにまで充分通用することや、
ヒエログリフは表意文字としてだけでなく、表音文字としても使われてい
たことも証明します。

ヒエログリフの文字数は最大3000個ともいわれていますが、通常よく
用いられていたのは500~600個ぐらいで、これらの文字は長年に渡り
使用されていたため、時代により意味や使われ方が若干異なっています。
また、実例が少ないせいか、ヒエログリフはかなり発達した形で突然現れ
たとしか考えられないほど、その形成過程を示すものがないそうです。

文字をヒエログリフや古代ケルト語のために作られたオーガム文字
などの19種類の文字に変換できるサイトがありますので、紹介しておき
ます。

『多言語文字変換屋 Mojio.net』http://www.mojio.net/top.html

ちなみに下の文字は、全て『朱雀』です。
上から順にヒエログリフ、西アフリカ・マンデ族のヴァイ文字、黒海沿岸
地域のグルジア文字です。
ちょっといい感じでしょ。

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2003/10/22

今日は『中原中也忌』

今日は中原中也忌です。
夭折の天才詩人、中原中也は30歳の若さで亡くなりました。

朱雀は中也の詩に出会わなければ、きっと詩を書く事はなかったと思い
ます。
中也に対する思いは、以前『問わず語り』にも書いたのですが、中也の
詩から本当に沢山の事を学びました。
言葉の美しさ、悲しさ、痛さ、そしてやり切れなさ。
ドクンドクンと『言葉』が呼吸しているようで、まるで生き物のような詩は
何度読んでも、褪せることなく心の中に波紋を広げます。

中也の詩を読んでいると、会った事もない中也が、少し背中を丸め
座卓に向かい泣き出しそうな顔で、詩を書き殴っていたり、畳に寝そ
べって、擦り切れた畳の縁をぼんやり眺めていたかと思うとおもむろに
身体を起こし、じっと紙を見つめてまた寝転がる、そんな姿がなぜか
浮かんできます。
そして「お道化うた」や「また来ん春…」などの詩を読むと、堪らなく
胸が締め付けられて、涙がぼろぼろ溢れてきます。

また来ん春…

また来ん春と人は云ふ
しかし私は辛いのだ
春が来たつて何になろ
あの子が返つて来るぢやない

おもへば今年の五月には
おまへを抱いて動物園
象を見せても猫(にやあ)といひ
鳥を見せても猫(にやあ)だつた

最後に見せた鹿だけは
角によつぽど惹かれてか
何とも云はず眺めてた

ほんにおまへもあの時は
此の世の光のたゞ中に
立つて眺めてゐたつけが…

中也の中にある、ゼンマイ仕掛けの人形のようにギクシャクとした人に
対する違和感は、文也の誕生で自分も人なのだという安堵感と共に
和らぎ、また自分の思いがけない愛情を発見しそれに酔い、どれほどの
幸福を噛締めていたことか。
それを死という形で失い、精神まで病んでしまうほどの悲しみと痛みと
喪失感は如何ばかりだったでしょう。

この詩を読むと、自分の肉を抉りそこから滴る血で書いた詩は、なんて
穏やかで優しいのだろうと思ってしまいます。
そして、不器用に息子を抱き、きっと今まで面白いと思った事もない
動物園で象だ、鳥だとまるで初めて見るような新鮮さで動物を指差し
いとおしげに息子を眺める中也が浮かんできて、留まることのない悲し
みと痛みが「春」の中から「猫」の中から、全ての言葉の中から溢れて
きます。

中也のような詩はとても書けませんが、朱雀もせめて自分の思いが甦る
ような詩が書ければと思っています。

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2003/10/21

CM話その2

昨日は随分と昔のCMの話を書きましたが、今日は今、朱雀が嵌って
いるCMの話を・・・

多分全国ネットのCMだと思うんですが、月桂冠のCMで、妙に昔顔の
リスやムササビの着ぐるみが『♪げっ!げっ!月桂冠!月桂冠!
月桂冠を買うと、さん!さん!3000円がポン!と当たります。うるうる、
うるうる、うるうる、うるおいプレゼント。』という西川のりおのダミ声
にあわせて踊っている、お間抜けなCMなんですけど、ご存知ですか?

あのCMを見るたび笑ってしまって、今、朱雀の一番お気に入りのCM
なんです。(笑)
月桂冠のHPにキャラクターの紹介が載っているのですが、中でもリスが
かなりツボです。
名前はマロン・アリスちゃん。秋になるとうるうるするロマンチストのリス。
いつも、みんなのしあわせをねがっている。森のなかまにやさしい。
クリが大好物だけど「それ、クリ」というとくれる。と、いうプロフィールが
いいですねぇ~☆

森の仲間には、クマの「マックン・オグマ」、モグラの「ホルト・モングラー」
ムササビの「トム・ササビー」と、なぜかオカピの「ケララ・オカピー」が
いるのですが、どこかチープでとても日本酒のCMとは思えない、あの
間抜けさがとにかく可愛いんですよね。

結構CMも好評のようで、動物たちの壁紙やキャラクターグッズも検討中
なんだそうです。(笑)

あと同じぬいぐるみのCMで、明治製菓のチェルシーのCMもかなり好き
です。
こちらはウサギとクマのぬいぐるみがチェルシーを巡って、凄まじい
バトルを繰り広げるのですが、ボリボリと耳の後を掻きながら、チェルシー
に近付いてくるウサギや、いきなりウサギを殴り倒したあと、チェルシーの
パッケージを大事そうに撫でているクマがなんとも・・・(笑)

それから、昨日のランボーのCMですが、サントリーのHPに少し紹介されて
いました。CMコピーの全文がのっていたので、再度紹介します。

『その詩人は底知れぬ渇きを抱えて放浪を繰り返した。
限りない無邪気さから生まれた詩。
世界中の詩人達が青ざめたその頃、彼は砂漠の商人。
詩なんかよりうまい酒をなどとおっしゃる。
永遠の詩人ランボオ。
あんな男、ちょっといない。』

もう一度、あのCMやってくれないかなぁ。で、ランボーのCMの後に月桂冠の
CMを続けて見て、そのギャップを楽しみたいです!(笑)

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2003/10/20

『ランボーのCM』の話

今日はフランスの詩人アルチュール・ランボーの生まれた日です。

幼少時より神童の評判を得て詩作を志したランボーは、17歳でプロシア・
フランス戦争後の混乱期にパリの民衆が作った自治政府『パリ・コミューン』
に共鳴し活動します。そして、10歳年上の詩人ポール・ヴェルレーヌと
同性愛の関係となり、ブリュッセル、ロンドンなどを共に放浪します。
2年後、別れ話がこじれヴェルレーヌに左手首をピストルで撃たれ、二人は
決別し、21歳で詩作を放棄します。その後はアフリカに渡り、貿易商人と
なりますが、37歳で癌により死去しています。
代表作は『地獄の季節』『イリュミナシオン』など。

このランボーの詩集を中原中也が訳しているのですが、ランボーではなく
『ランボオ詩集』となっているのがなんかいいですね。

また、1995年にレオナルド・ディカプリオの主演でランボーとヴェルレーヌ
の関係を描いた映画『太陽と月に背いて』と言うのがありました。
父っちゃん坊やっぽい所がディカプリオと良く似ているなぁなんて思った
のを思い出します。(笑)

そして、ランボーといえば20年程前にサントリー・ローヤルの、もの凄く
素敵なCMが放送されていたのですが、覚えている方はいらっしゃいますか?
このCMは他にもガウディ編、ファーブル編とシリーズであり、ランボーの
詩の世界を映像にした感じで、とても印象的なCMでした。
ピアノとオルガン、タンバリンが奏でるノスタルジックなメロディーにのせて
砂漠で大道芸人が芸を披露しているという内容で、最後はナイフ投げに
扮したランボーと火吹き男や小人の天使、ジャグラーなどが沙漠を歩いて
ゆくというもので、コピーが『こんな男ちょっといない』だったと思います。

音楽はガウディ編やファーブル編もすべて、マーク・ゴールデンバーグの
曲が使われ『鞄を持った男』というアルバムに収録されています。
多分、CMの為に作られたのだと思うのですが『剣と女王』という曲が
凄く良いんですよ。
朱雀は、この曲とガウディ編の『オルフェ』の2曲がどうしても欲しくて
わざわざ探し回ってこのアルバムを買いました。

ガウディ編も不思議な音楽の中、サグラダ・ファミリアやグエル公園に
奇妙な面を被った踊子が幻のように現れて、こちらも印象的でした。

映像がないかと調べてみたら、なんとランボー編の写真を発見しました!

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2003/10/17

『ラストエンペラーと弟』の話

今日は中国最後の皇帝、愛新覚羅溥儀の命日です。
映画「ラストエンペラー」で描かれた、時代に翻弄され波乱に満ちた
溥儀の生涯は、なんともやるせなく、溜息しか出てきませんが、この
溥儀にはラストエンペラーの他に、もうひとつ『火龍』という呼び名が
あります。

中国では歴代皇帝は死後、土葬にするのが常識ですが、溥儀は1人の
人民として死を迎え、火葬にされました。
そのことから歴史上で初めて火葬にされた皇帝として『火龍』の呼び名
が付いています。
火龍の意味はよく分りませんが、わずか3歳で皇帝となり以後、傀儡の
操り人形でありつづけ、退位してなお中国共産党に背後を固められ、
人民として最後を迎えた溥儀にはなんだか似合わない呼び名に思えます。

また、溥儀には同じように波乱の人生を送った溥傑という弟がいました。
この溥傑は日本との係わりが深く、千葉県の稲毛には夫人の浩(ひろ)
と新婚時代を過ごした家が今も残っています。

溥傑が日本に留学していた昭和7年に満州国が建国され、兄の溥儀が
帝位に就きます。
その時、溥傑に嵯峨公爵の長女、浩との結婚話が持ち上がります。
これらはすべて日本軍の謀略なのですが、溥傑は日満親善のため
浩と結婚します。
その後、中国に帰国した溥傑と浩を待っていたのは、流転の日々でした。
日本の敗戦により満州国は解体、溥傑はソビエトの捕虜となり、浩も
八路軍に拘禁されます。
特赦により解放されるまで収容所生活は続き、戦犯となった溥傑を
中国に残して日本に帰国していた浩は溥傑解放の翌年、漸く中国に
帰ることが許され再会を果たしますが、一家で暮らすことが決まった
矢先、当時19歳の長女の慧生が伊豆の山中で同級生の大久保武道と
ピストル心中事件を起こし、溥傑は収容所の中で慧生の死を知ります。

その後、溥傑と浩は日中親善に尽くし、日中国交回復後に来日した際
二人で稲毛を訪れて、ここで暮らした頃が一生の内で一番楽しかったと
語ったそうです。

溥傑は今、嵯峨家の先祖を祀る下関中山神社の愛新覚羅社で夫人の
浩や慧生と共に眠っています。
また、慧生と心中した武道の大久保家は慧生の分骨を申し入れますが
愛新覚羅家はこれを拒否し、武道の墓石には慧生の戒名が刻まれ、
墓には爪と遺髪だけが入っているそうです。

なんだか、本当に切な過ぎる一族ですね。

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2003/10/16

ドリアングレイの肖像/オスカー・ワイルド

今日はイギリスの小説家オスカー・ワイルドの生まれた日です。
ワイルドといえば、朱雀がデカダンの世界に嵌るきっかけとなった
『ドリアン・グレイの肖像』という小説があります。

美貌の青年ドリアンは、快楽主義者のヘンリー卿に感化され、丁度
出来上がった肖像画を見てこう叫びます。僕がいつまでも若さを
失わず、老いて行くのがこの絵になるなら、魂だってくれてやる!
そしてその願いは叶えられます。

ある日、女優のシビルと出会い恋に落ちますが、恋をして芝居を捨て
た彼女に失望し、ドリアンは彼女を見捨て、彼女は自殺してしまい
ます。
これを機にドリアンは快楽的、享楽的な生活に溺れてゆきますが
彼の重ねた罪悪は全て肖像画に現れ、肖像画は醜い姿に変わり
果ててゆきます。
その肖像画を見た作者のバジルは、ドリアンに悔い改めるよう諭し
ますが、ドリアンはバジルを刺し殺してしまいます。
その後も悪徳に満ちた生活を続けますが、やがてシビルに似た娘
ヘティと出会った事で、自分の醜い肖像画に耐え兼ね、肖像画に
ナイフを突き刺します。
悲鳴に驚いた使用人が部屋に入ると、壁には若くて美しい主人の
肖像画がかかり、床には老けやつれた厭わしい容貌の男がナイフを
突き立てて死んでいました。

この作品はワイルド自身の人生観や芸術観・道徳観を盛り込んだ彼の
代表作ですが、この本について松岡正剛さんは
『この本を読んだ学生時代に惑溺したのはドリアン・グレイではなく
ヘンリー卿だった。その、青年を誑かす快楽主義と悪魔主義と耽美
主義に、大いに惑溺し、当時の澁澤龍彦が、ぼくの当面のヘンリー卿
だった。』と仰っています。

これは朱雀にもそのまま当てはまり、澁澤龍彦というキーワードで
転げ落ちるように、耽美やデカダンの世界にどっぷり嵌り込んでしま
いました。後に松岡正剛さんと荒俣宏さんも、朱雀を幻想とルナの
世界に引きずり込んだ第2、第3のヘンリー卿になるのですが・・

また最近公開された『リーグ・オブ・レジェンド』と言う映画に
不死身の男としてドリアン・グレイが登場しています。
19世紀を代表する小説の主人公達が世界平和の為に立ち上がる
アクション・アドベンチャーなのですが、集まったのがドリアンの
他にオペラ座の怪人、トム・ソーヤー、ジキル博士などで、これで
世界が救えるのか!というような奴らが集まっています。(笑)

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2003/10/15

オットーと呼ばれた尾崎秀実の話。

今日は以前日記でも紹介した、女スパイ、マタ・ハリが銃殺刑で処刑
された日です。
そして、もう一人の有名なスパイ、リヒャルト・ゾルゲのゾルゲ事件で
日本人ジャーナリスト尾崎秀実(ほつみ)が逮捕された日でもあります。

1901年に東京に生まれた尾崎は、父親が台湾日日新聞の記者で、幼少
期を台北で過します。その体験から、民族問題に関心を寄せ中国研究
へ向かうようになりますが、東大を卒業後、朝日新聞に入社し、その
特派員として中国上海に滞在中に、左翼文芸派の「創造社」に出入り
するようになります。機関誌「大衆文芸」に白川次郎のペンネームで
寄稿し、その後、中国共産党と関係を持つようになり、インド独立運動
に共鳴し、中国にも関心を寄せていたドイツ新聞社記者スメドレー女史
の紹介でリヒャルト・ゾルゲと出会います。

父がドイツ人で、母はロシア人のゾルゲは当時、国際共産世界の実現を
夢見てコミュニストになり、ソ連赤軍参謀本部の機関員として上海で
諜報活動をしていました。
数年後、偽装のためナチス党に入党しドイツの新聞フランクフルター・
ツァイトゥンク紙の特派員として来日し、帰国して近衛文麿内閣の嘱託
となった尾崎らの協力を得て、日本政府の機密情報をソ連に流した
スパイ事件が、俗に言うゾルゲ事件です。その時の尾崎のコードネーム
はオットーだったそうです。

これは、今年公開された篠田監督の『スパイ・ゾルゲ』という映画で
随分話題になりました。

そして、もう一つ『虹色のトロツキー』という劇画があるのですが、
これは機動戦士ガンダムのキャラクターデザインを担当した安彦良和の
漫画で、大日本帝国の幻想の地、満州を舞台に、日本人の父とモンゴル
人の母をもつ主人公が、自身の失われた記憶を求め自分探しの旅に出る
プロセスと、日本の満州や中国侵略の経緯を解き明かすことを重ねた
壮大な歴史ドラマで、石原莞爾、甘粕大尉、川島芳子、李香蘭という
蒼蒼たるメンバーと共に、尾崎も登場しています。

いつも思うのですが、共産主義や社会主義って理想上では成り立ちますが
人が人である以上絶対無理だと思うんですが、どうなんでしょう。
もし、尾崎秀実が生きていて、今の北朝鮮を見たらどう思うんでしょう?

また、尾崎が獄中から妻子に宛てた書簡を集録した「愛情は降る星の
如く」は敗戦直後ベストセラーとなっています。

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2003/10/11

『ジャン・コクトー』の話

今日はフランスの詩人ジャン・コクトーの命日です。
裕福な家に生まれたコクトーは父親の自殺をきっかけに、死の恐怖と
魅力に同時に取り憑かれます。
17歳で詩集『アラジンのランプ』を発表し、後にロシア・バレーの
創立者ディアギレフや、作曲家のストラヴィンスキーとの出会いから
舞台の世界でも活躍します。30歳の時に、早熟な天才作家、16歳の
レーモン・ラディゲと電撃的に出会い、彼を熱愛しますが、彼が
20歳の若さで逝去したことで、阿片に溺れてしまいます。
そして、治療中に僅か17日間で書き上げたのが、小説『恐るべき
子供たち』です。
これは少年時代に起こった出来事を、学友ダルジェロスへの憧憬を
込めて描いた作品ですが、阿片の幻覚の余韻や、ダルジュロスを
絶対的美の存在として描く事により、物語をさらに詩的に、魅惑的に
描き出した作品として、小説家コクトーの代表作とも呼べる作品に
なっています。
その後は映画の魔力に取りつかれ、コクトーの創造力を刺激し続けた
男優ジャン・マレーとの出会いにより『美女と野獣』『オルフェ』など
幻想と詩情と、屈折した愛が溢れた独創的な映像を生み出します。
1963年の今日、74歳で亡くなりますが、その死は友人のシャンソン
歌手エディット・ピアフの死を知ったショック死だとも言われています。

コクトーとラディゲについては、三島由紀夫が『ラディゲの死』という
小説を書いていますが、その中でコクトーは、「ラディゲが生きている
あいだというもの・・・ぼくたちは奇跡と一緒に住んでいた。ぼくは奇跡の
現前のふしぎな作用で世界と仲良しになった。(中略)
奇跡自体には一つ気づかず、薔薇が突然歌い出しても、朝の食卓に
天使が落ちてきても、(中略)当然のことのようにすこしもおどろかずに
見ていられたのだった。」と語っています。
友人に阿片を常用している事を語る最後の場面では、コクトーの書いた
『阿片』からの引用でこう結ばれています。
「一番賢明なのは、事情がそれに値する時にだけ狂人になる事だ」

また、この作品は三島由紀夫が翌年に発表した『詩を書く少年たち』
に描いた先輩と三島の関係のもう一つの変奏であり、その鎮魂歌でも
あります。この作品を書いた後、三島はボディビルを始め、肉体の
フェティシズムに傾倒してゆきますが、これは三島の詩との別れと
現実への希求の始まりでした。

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2003/10/10

ちょっとお知らせ。

今日はちょっとお知らせです。

『みんなでつくるコンテスト事務局』と言うサイトで、今、『第1回みんなの
バナー広告コンテスト』というコンテストが開催されています。
各企業のテーマに沿った広告を作成するというもので、バナー広告部門、
テキスト広告部門、メール広告部門の3部門で、以下のような応募内容に
なっています。

バナー広告部門=サイズ:468x60ピクセル・容量:50KB迄・形式:gifのみ

テキスト広告部門=容量:3072バイト(1536文字)迄

メール広告部門=HTMLタグ使用不可。容量:1024バイト(512文字)迄
 (1行全角35文字(半角70字)以内で改行するようにして下さい)

参加広告主はベネトンジャパン株式会社、ソニー損害保険株式会社、
九十九電機株式会社など14社です。

応募期間 : 2003年9月25日(木)~2003年11月26日(水)
審査結果 : 2003年12月17日(水) (予定)

応募資格は特にありません。そして、優秀作品には賞金が出ます。
☆大賞(1名)・・・・・・・・・10万円
☆部門賞・・・・・・・・・・・・ 各3万円
☆広告主賞各(1名)・・1万円

尚、このコンテストは株式会社ファンコミュニケーションズの主催による
ものです。
興味のある方は一度サイトを覗いて見てください。

アドレスはこちらです → http://www.mincon.org/

何故、こんなお知らせをしているかと言いますと、このサイトの中に
コンテスト参加者にむけて『お役立ちリンク集』というのがあって、
「テキスト広告部門」は主催者曰く、「文章をつくることが得意な方に
是非参加して頂きたい部門になっておりますので、お役立ちリンク
にも詩・エッセイの項目を入れました。」とのことで、その「詩・小説」の
項目に何故かウチのサイトが掲載されているんですね。
で、その連絡を受けてサイトを覗いて見たのですが、特にあやしい
内容ではなかったので、こちらでも案内する事にしました。

イラスト入りのバナーを課題にされている企業もあるので、お絵かきの
好きな方もちょっとチャレンジしてみると楽しいかもしれませんね。

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2003/10/09

『二十四節気』の話

今日は二十四節気の寒露にあたります。
そこで、またメモ代わりに二十四節気のまとめを。

二十四節気とは古代中国で始められた、季節の変わり目を示す日の
ことです。
元々陰暦は月の運行を基準にしている為、日付は太陽の位置とは
無関係に定められていました。
その為、季節の変わり目が年毎にずれてしまい、本来の季節を知る
目安として導入されたのが二十四節気で、1年を春夏秋冬の4つの
季節に分け、それをさらに6つに分けて24の節に分けた始まりの
日のことを指し、それぞれに名称が付いています。
ただ、その名称は、当時の文明の中心であった黄河の中・下流域の
気候を反映して付けられており、それは日本よりも寒冷で大陸的な
気候に基づいたもので、日本の気候とは一部ずれがあります。

また、二十四節気は最初、冬至を計算の起点にして、1年を24等分した
約15日ごとに設けられていましたが、地球の軌道は円ではなく楕円で
あるため、太陽の黄道上での運行速度は一定ではないので、黄道を
春分点を起点とする15度づつの24分点に分け、太陽がこの点を通過
する時を二十四節気とするようになりました。

そして、二十四節気は、太陽黄経が30の倍数である「中気」と、そうで
ない「節気」から成り、節気から次の節気の前日までの間を1か月とする
月の区切り方を「節切り」、その月を「節月」といいます。
節気と中気は12づつあります。
節気-立春・啓蟄・清明・立夏・芒種・小暑・立秋・白露・寒露・立冬・
大雪・小寒
中気-雨水・春分・穀雨・小満・夏至・大暑・処暑・秋分・霜降・小雪・
冬至・大寒

また、夏至・冬至の二至、春分・秋分の二分を併せて二至二分、立春・
立夏・立秋・立冬を四立、二至二分と四立を併せて八節といいます。

更に、この二十四節気を約5日づつの3つに分けた、七十二候という
分類もあります。

今日は節気の寒露にあたり、天球上の黄経195度の点を太陽が通過
する瞬間になります。
季節的には秋の長雨が終わり、本格的な秋が始まる頃で、露も冷気に
よって凍りそうになるほどで、雁などの冬鳥が渡ってきて、菊が咲き
始め、コオロギなどが鳴き止む頃とされています。
また、十二支月の戌月の始まりで、戌は滅、すなわち地上が枯れはじめる
状態を指し、寒露は冬に備えて、収穫を貯蔵し、管理することを表して
います。
いよいよ寒くなってくるんですね。うぅ~

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2003/10/08

『十三夜』の話

今日は旧暦の9月13日で「十三夜」といい、十三夜の月見は、旧暦八月
十五日の中秋の名月の月見に対して「後の月見」と呼ばれています。

中秋の名月は、もともと中国で行われていた行事が日本に伝来したもの
で、この十三夜の月見は日本独特の風習なのだそうですが、十五夜に
月見をしたら、必ず十三夜にも月見をするものとされ、十五夜だけでは、
「片見月」あるいは「片月見」といって忌み嫌われていました。

十三夜の月見の紀元は定かではありませんが、一説には宇多天皇が
九月十三夜の月を愛で「無双」と賞したことが始まりとも、醍醐天皇の
時代に開かれた観月の宴が風習化したものとも言われています。
また、朱雀天皇の崩御と関係があるとも言われています。
朱雀天皇が崩御したのが952年の8月15日だったため、この年には、
十五夜の行事が行われず、代わって9月13日に名月を眺めたというの
ですが、最初に宮中で十三夜のお月見が行われたのは、朱雀天皇が
生まれる以前だったという説もあります。

そして、十五夜はサトイモなどを供えることから「芋名月」と呼ばれ、十三
夜は枝豆や栗なども供えたことから「栗名月」や「豆名月」などとも呼ば
れています。
「後の月」というのは、中秋の名月の後なので、そう呼ばれるようになり、
他に「小麦の名月」と呼ぶ地方もあり、これはその夜のお天気で、翌年の
小麦の豊作、凶作を占う習慣から来ています。

また、この時期は天候が安定していて晴れる日が多く、「十三夜に曇り
なし」という言葉もあって、とても縁起のよい月とされ、静岡県引佐群では
十三夜様といって、拝むと成功すると言われています。

『夜る竊(ひそか)に 虫は月下の 栗を穿つ』
 
これは芭蕉の句で、「後の月」という題がついています。また、月見好きの
芭蕉は、こんな句も詠んでいます。

『木曾の痩も まだなをらぬに 後の月』

旅の疲れも癒えないのに無理を押して、門人たちと十三夜の宴を催し
詠んだ句だそうです。(笑)
そして月と言えば、

『月々に 月見る月は 多けれど 月見る月は この月の月』

という、歌がありますが、これは「月」が8個入っていて、十五夜の月を
詠んだものですが、今日は十三夜なので、9個入りの歌でも詠んで
みましょうか?って無理!(笑)
でも、せっかくですから、朱雀も今夜の『後の月』を見ながら、歌を
詠んでみよっと。

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2003/10/07

『満月ポン』の話

突然ですが、みなさんは『満月ポン』というお菓子をご存知ですか?
朱雀の生まれた大阪は住之江の町工場で今もなお、作られている
昔ながらの素朴な味の「ポンせん」です。
小麦粉に少量の水と塩を混ぜたものに圧力をかけて膨らまし、
せんべい用の甘みのある醤油を塗っただけの駄菓子なのですが、
これがおいしいんですよ!

直径5㎝位の丸いポンせんを袋詰めにして、松岡製菓という会社
から「満月ポン」の名前で販売されているのですが、朱雀はつい最近
までこのお菓子が、グリコや森永キャラメルのように日本全国どこに
でもあるメジャーなお菓子だと思っていました。
工場の傍に住んでいたので、いたるところで売っていましたし、何度か
引越しをしましたが、いずれも関西圏のため、何処に行っても見かけて
いたので・・・
ところが、関東の友人に、「『満月ポン』?なにそれ?」と言われて
しまい、全国ネットの商品でない事を初めて知りました。(笑)

で、その『満月ポン』は関西の人間なら、たこ焼きと同じくらいみんな
大好きだと思うのですが、これを知らない人は、子供の頃、もの凄く
損をしていると思うんですよね。
朱雀は満月ポンが全国ネットでないと知った時、今までで一番、関西に
生まれて良かったと、思いました。(笑)

そして、お膝元に住んでいた朱雀の近所では、たこ焼きを焼いている
駄菓子屋さんがあって、直径15㎝くらいのポンせん2枚の間にたこ焼き
が3つ挟まっているという、実に贅沢な「たこやきポンせん」が売られて
いたんですよ。(笑)

初めて知った方も、だんだん食べたくなってきたでしょ?
そう言う方の為に、凄いサイトをご紹介しましょう!!
なんと『満月ポン』のオフィシャル・ホームページがあるんですよ。凄!
其処では、『満月ポン』の全てが分り、そして、通販もあるんですね。
『満月ポン』のキャラクター・ポンちゃんの絵本まであります(笑)
プレゼント付きのクイズやゲームもあって、松岡製菓の代表取締役、
松岡力王丸さんの写真も見られます!(もういいって!)

http://www.mangetupon.co.jp/index.html

実はこのサイトを偶然見つけて、どうしても紹介したかっただけなん
です。(笑)
皆さんがお住まいの地方でも、その地方限定のおいしいお菓子など
ありましたら、朱雀に教えて下さいね。

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2003/10/06

久生十蘭の話

今日は久生十蘭(ひさお じゅうらん)の命日です。
夢野久作、小栗虫太郎、久生十蘭の三人は朱雀の好きな日本の幻想
小説家です。
名前はクウ・トリーヌという作家を偲んで付けたそうですが、この作家
については、全く知りません。

また、十蘭はルートヴィヒ二世の死に拘ったり、上田秋成の『雨月物語』
をもじった『無月物語』という小説を書いたりと、かなりルナティックな人です。
『鈴木主水』で直木賞を受賞していますが、今日は朱雀の好きな短編小説
『月光と硫酸』を紹介します。

パリの日本人留学生・十蘭が、猛勉強の所為で神経衰弱にかかり、
コートダジュールに静養に行きます。
医者の「庭の蟻でも見てのんびりしていなさい」と言う忠告にそのまま
従い、一日中、庭の蟻を見続け、仕舞には蟻を苛めるのに精を出す
ようになります。
そんなある日、隣の別荘からオートバイのもの凄い排気音が聞こえて
きて、いい加減怒りが込み上げた頃、排気音に混じり銃声が聞こえた
ような気がしました。確かめるでもなく、気になったまま一夜を過ごし、
翌日、いつものように蟻を苛めようと庭に出ると、どうした事か蟻が一匹
もいません。
その夜、見事な月が出ていて、それに惹かれた十蘭が庭に出ると、石垣
のそばで奇妙なものを見つけます。
そこには、青白い輝きを放つ一坪ほどの月が落ちていました。大急ぎで
母屋の老婆に知らせると、町中の人が集まってきます。
皆で感嘆の声を上げながら見ていると、知ったかぶりの先生が、これは
月ではなく、濃硫酸が零れたのだといいます。
すると村人が、月なら話が解るが、濃硫酸がこんな所に落ちている訳が
ないと反論します。
先生曰く、隣の別荘で捨てた硫酸がこちらに染み出してきたのだと言い
返します。
村人も、負けじと、死骸を溶かす訳でもないのに、なぜ硫酸を隣の別荘
で使うんだ!とやり返します。
それを聞いていた警部が「えっ」と叫んで飛び上がり・・・
翌日の新聞に、隣の別荘の持ち主が、売り別荘の広告を出しては、
手続きのあと買主を庭で銃殺し、湯船の濃硫酸で死体を溶かしていたと
いう記事が載ります。

この小説はテンポがよく、家主の老婆と十蘭の会話が面白いんです。
月が落ちていると報告した後「あなたが私の所へ来てまともな事を
言ったのは、これが初めてだ」と言うくだりは笑えます。興味のある人は
読んで見て下さいね。

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2003/10/05

暦の話

日記を書くようになって、暦を良く見るようになりました。
今日の10月5日というのは、現在、世界各国で使われている一般的な
暦であるグレゴリオ暦によるものです。
グレゴリオ暦は紀元前45年より実施されていた1年を原則、365日とし
4年に1度の閏年の2月に1日を加えて366日とする『ユリウス歴』に修正
を加えた太陽暦のことです。

そして今日は、太陰太陽暦では9月10日、六曜は赤口、二十八宿は西方
白虎七宿の四宿である昴(ぼう)に、十二直は満(みつ)になります。
古代中国では十二支を方位に配置し、更にその方位の配当を北斗七星
の回転と結びつけたのが十二直で、日々の吉凶を判断するのに使って
いました。

また、イスラム歴では8月8日、ユダヤ歴では1月9日、チベット歴では
8月10日、フランス共和暦ではヴァンデミール月の14日となります。
このフランス共和歴のヴァンデミールと言うのは、葡萄月と言う意味で
日本歴日で10月を神無月と言うのと同じような感覚なのですが、ネー
ミングがフランスらしくて朱雀はとても好きです。

そして、フランス共和歴とは、1789年のフランス革命により共和国となった
フランスが1792年より、同年の秋分の日(9月22日)を紀元として作った
暦のことで、第一の月を葡萄月、以下順に霧月、霜月、雪月、雨月、風月、
芽生月、花月、草月、収穫月、熱月、果実月と、北フランスの気候に合わ
せて命名した12の月に分けられています。
また、一ヶ月は全て30日間で、余りの5日~6日は年末(秋分の日の前)に
置き、「サンキュロットの休日」という休みにしていました。
サンキュロットとは「キュロットを履かない人」と言う意味で、当時の貴族が
キュロットズボンを履いていたのに対抗して、民衆が長ズボンを履いて
いたことに由来します。
そして休日にもそれぞれ徳日、才能日、労働日、言論日、報酬日という
名前が付いていて、閏年にはもう一日休日を増やしていました。
この暦はナポレオンがグレゴリオ暦に戻すまでの僅か14年間だけ使用
された暦です。
それまではグレゴリオ暦を使っていたので、さぞや、使いにくかった
でしょう。(笑)
でも、葡萄月っていいですよね。さすがワインの国。

また、今もイスラエルで使われているユダヤ暦では、今年は5764年に
なるそうですが、それってちょっと多すぎないか?(笑)

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2003/10/03

秋のある場所

POEMに詩『秋のある場所』を置きました。
今回は解説は必要ないと思うので言い訳を・・・
たまにはこんな風にさらっとした物も良いかなと思ったのですが、
書いてみると意外と、手間が掛かりました。やっぱり朱雀には向いて
ないのかなぁ。(笑)

いくら好きなものが揃っていても、肝心のものが其処になければ、結局
全部色褪せてしまう事は良くある事で、そんな思いをちょびっと乙女
モードで書いて見たのですが、なんせ朱雀は乙女と呼ばれる年齢の時で
さえ、乙女だった試しがなく・・・
中盤はかなり強引でしたね。(反省)

こう言う詩を書く時って、行間をどう読んでもらうかにかかっていると
思うのですが、どうもごちゃごちゃと詰め込みすぎる癖は治らず、結局
読んだまんまと言う詩になってしまいました。ふ~

書き終わってから、昔書いた詩を久しぶりに読んで見たのですが、
なんかやっぱり素直さが違う!
「ノスタルジア」とか「うたた寝」とか、あんな詩はもう絶対書けないでしょうね。
まぁ、何時までも同じような詩ばかり書いていても仕方ないんですけど・・・

一度詩を書くのを止めてから、またこうして書くようになるまでに、
8年ぐらいブランクがあって、再開してから、今で7ヶ月ぐらいなんです
けど、やっと少し目線を上げることが出来るようになったというか、
最初はどうしてもずっと足元ばかり見ていたような気がします。
出来れば、すうっと目線を延ばしたその先に、言葉が四方で遊んでいる
ような詩が書ければいいなぁと、思うのですが、そう簡単に書ける訳が
ないので、これからもボチボチと、試行錯誤してゆきます。

何時だったか、「或る日」を読んで「暑いというだけなのにもの凄く
大変な事が起っているような気がする」という感想を下さった方が
いて、結構笑っちゃったんですが、確かにそうですよね。
同じ熱さでも、感じる肌の感覚が違うと感じてもらえるような詩が
いつか書ければいいんですけど・・・
たぶん一生無理なような気がしますが、まぁ、それはそれでのんびりと
それなりの詩を書いてゆきたいと思います。(笑)

それから
青蘿(せいら)は青い葉をした、紅葉しない蔦のことですが、「ら」と言う
字は本当はこの「蘿」ではありません。
一番上のところがちょっと違うのですが、ウチのパソではまた出ません
でしたので、語源的に一緒と思える「蘿」を使いました。

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2003/10/01

八色の姓の日

684年の今日10月1日は 「八色の姓(やくさのかばね)」を制定した日です。
「姓」と「氏」と「名字」は、今では特に区別されていませんが、古代から中世
においては、異なった意味を示していました。

氏は氏族の名称で、同族集団を意味し、族長的地位に立つ家の家長が
氏上(うじのかみ)となって、氏の共有財産を管理し、氏神を奉祀し、氏人を
統率しました。

姓(かばね)は氏族の格を表すもので、古代豪族の氏の下に付けられて
いた称号でしたが、大和朝廷の支配が進むにつれ、朝廷との関係などに
より、姓は朝廷から与えられるものとなりました。

名字は本来、同じ氏から出た家々が、その住所・名田などによって付けた
名のことで、苗字とも書きます。

足利尊氏を例にとると、氏が「源」氏、姓は「朝臣」で、「足利」は名字に
当たります。
そして、武士は名字を用いていますが、これは勝手な名乗りであるので、
朝廷において徳川家康は源朝臣家康と称することになります。

また、姓の成立は大きく三つに分けられ、まず神代からある原始的姓として
公・彦・梟師・戸畔・祝などがあります。
次に官職的姓として、国造・県主・稲置・別・神主などがあり、官制的姓と
して、君・臣・連・造・直・首などが允恭朝の時代に制定されました。

奈良朝時代になると、それぞれの姓を代表する、大公、大祝、大王、大臣、
大連などの姓を称する氏族が現れましたが、天武朝になって天皇の絶対的
な地位を確立させるための政策として大化改新や壬申の乱で功労のあった
家には高い家格を、無かった家には低い家格を与える為に制定されたのが
八色の姓です。

これは上位から順に、真人(まひと)、朝臣(あそん)、宿禰(すくね)、
忌寸(いみき)、道師(みちのし)、臣(おみ)、連(むらじ)、稲置(いなぎ)
の8つの姓がありました。

真人は近しい皇胤に、朝臣は臣のうち勢力のあるものに、宿禰は連のうち
勢力のあるものに与えられ、忌寸は11氏族に与えたのち廃止され、道師と
稲置は制定したものの与えられませんでした。
臣は景行天皇以前に分かれたとされる皇裔に、連は有力な臣下に、与えら
れていました。

実は朱雀は名字に対するコンプレックスがあって、朱雀の名字は、字は
とても簡単なのですが、初対面の人はまず、ちゃんと読めません。
子供の頃はそれが嫌で嫌で堪らなかったんですよね・・・

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