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2003/07/14

『朔』は朔太郎の『朔』

今日も雨で空に月は見えませんが、今夜は満月です。
地球が太陽と月の間にあって、直線に並んだ時に見えるのが満月で
望(ぼう)ともいいます。
その反対に、月が太陽と同じ方向にあって、暗い半面を地球に向ける
ため月を見ることができない事を新月または朔(さく)といいます。
そして、朔から次の朔に至る時間(29.53日)を朔望月と言います。

この朔から思い出したのが、詩人の萩原朔太郎です。
朔日(ついたち)に生まれ、この名を付けられたそうですが、本人は
かなり月に取り憑かれた人のようです。
直接的に月を題名にした『月に吠える』が有名ですが、それとは別に
荒俣宏曰く、朔太郎の生命感覚の凄さ、月リズム感覚の凄さが
表現されている散文詩があります。
ルナティックに嵌った人は、必ず一度は読むであろうその作品を
ちょっと紹介します。

『死なない蛸』と言う小品なのですが、内容はこうです。
ある水族館の水槽で長い間、蛸が飼われていましたが、人々はその
薄暗い水槽を忘れ、蛸も死んだと思われていました。
けれども、蛸は死んでおらず、忘れられた水槽の中でおそろしい飢餓を
忍ばねばなりませんでした。しまいに蛸は自分の身体を食べはじめます。
まず足を一本、そのうち体を裏返して内臓まで食べてしまいます。
かくして蛸は、身体の全部を食べ尽くしてしまいます。
ある朝、番人がその水槽の前に来た時、水槽は空になっていました。
蛸はすっかり消滅してしまったのです。
けれども蛸は死ななかったのです。身体が消えた後ですら、永遠に
そこに生きているのです。
幾世紀の間を通じて、もの凄い欠乏と不満を持った、人の目に見えない
動物が水族館の水槽の中に生きているのです。

この散文詩には朔太郎の自註があり『生とはなんぞ。死とは何ぞ。
肉体を離れて、死後にもなお存在する意識があるだろうか。
私はかかる哲学を知らない。ただ私が知っていることは、人間の
執念深いアイデアが、死後にもなお死にたくなく、永久に生きていたい
願望から多くの精霊を創造したということである・・・』とあります。

朔から望へ、そしてまた朔へ、形は変わっても綿々と生き続ける。
まさにルナ(狂気)ですね。
月の見えない望の夜に、朔に思いを馳せて見るのも悪くはないでしょう。

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