« 2003年6月 | トップページ | 2003年8月 »

2003年7月

2003/07/28

地震の話

ここ数日、東北地方で地震が続いていますが、昨日は関西でも地震が
ありました。
深夜2時前だったと思いますが、かなり大きな音がして縦揺れの
地震がありました。

朱雀は、なぜか地震には異常に敏感で、必ず地震の前にこれから
地震がくる、と言うのが分ります。
といっても「来る!」と思ったすぐ後に地震が来るので、何の役にも
たちませんが・・・
でも、何故か必ず地震の前に地震が来る事に気付きます。
一度眠ってしまうと、どんなに酷い雷が鳴っても目を覚ますことは
ないのですが、地震だけは別で、それが震度1の弱震でもすぐに目が
覚めます。そして、そのあとすぐに、揺れが始まります。

阪神大震災の時は、本当にぞっとしました。
明け方、ぱちっと急に目がさめて、「あっ!」と思った瞬間、もの凄い
揺れが起こりました。実際には数秒だったのでしょうが、揺れている
時間が、もの凄く長く感じました。
幸い、大した被害はなかったのですが、知人の中には大怪我をした人も
何人かいて、あの震災以来、どんな小さな地震でも揺れを感じるたび
背筋が寒くなります。
今回の東北地方の地震も、一日も早くおさまって欲しいです。

結局、昨日は、丁度寝入りばなに、その地震があって、すっかり目が
冴えてしまい、中々寝付けず寝不足で、一日中眠いままでした。
なので、今日は早めに寝ます。

おやすみなさい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/07/27

イエティの話

昨日の新聞で面白い記事を見つけました。
ヒマラヤのイエティを捜索する、イエティ・プロジェクト・ジャパンの
壮行会が行われたと言う記事です。

イエティはヒマラヤ一帯に古くから棲んでいるとされる獣人で、ネッシーや
猿人などと同様の未確認動物です。
身長は2m前後 、全身を長い体毛で覆われていて、 足のサイズは縦45cm
幅32cm 。足の指は大きな2本の指と小さな3本の指があるそうです。

イエティとは現地語で「岩場の怪生物」という意味で、もう一つ「雪男
(カング・ミ)」の名でも有名です。
イエティについては、1832年にネパール在住のイギリス人、B・H・ホジソン
と言う人が、イギリスの科学雑誌にヒマラヤに住む怪物としてネパール人が
語る怪物「ラクシャス」に関する文を載せたのが最初で、1951年にエベレ
スト遠征探検隊のエリック・シプトンが足跡を撮影し、公表しました。
それが上記の足のサイズと形です。
これにより、イエティの存在が世界中から注目を浴びることとなりました。
そして、1959年には、日本のイエティ探検隊が巨大な足跡を発見しています。

こういう話って凄く好きです。
朱雀が一時エジプトに興味をもったのも、シュリーマンの「古代への情熱」を
読んでからで、本当にあるかどうか分らないものを探すっていうのは、凄く
ワクワクしますね。
ちなみにシュリーマンは子供の頃に読んだギリシャの伝説からトロイアを
探し当てました。

で、イエティと言えばもうひとつ、ごまちゃんでおなじみの『少年アシベ』に
出てくるイエティが朱雀の大のお気に入りでした。
アシベくんの親友スガオくんがヒマラヤに引っ越して行くのですが、その
ヒマラヤでスガオくんと仲良くなるのがイエティです。
のんびり屋さんで、気が優しくてとっても可愛いんですぅ。
今度のプロジェクトでスガオくんと仲良しのイエティみたいに、可愛い
イエティが、発見されるといいのに。ふふ。

イラストの白くてでっかいのがイエティです。
ちなみに緑のセーターを着ているのがスガオくんです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/07/26

夢の話

今日は書くことがなくて、ネタ探しに『今日は何の日』みたいなサイトを
覗いていたら、7月26日生まれの有名人が紹介されていました。
そこに心理学者のユング、画家のギュスターヴ モロー、作家のアーサー C
クラークと朱雀の好きな人達の名前もありました。

朱雀はフロイトは信用しないくせに、ユングにはかなりのめり込んだことが
あります。そのユングといえば夢判断。そこで、今日は夢のお話を。

朱雀が見た夢の中で、未だにそれが夢かどうか分らないコトが一つあります。
その夢を見たのは6歳の時で、朱雀はとても大きな鷹の背に乗って空を飛んだ
のです。
それは、信じられないほどリアルな夢でした。

掴まった鷹の羽毛の感触や、空から見た町の風景、風が顔や身体に強く当って
いた事や、下から見上げる人達の顔も、その時友達が食べていたアイスの種類
まで、はっきり覚えているのです。

その話を友達や家族に何度も話したのですが、みんなそれは夢だといいます。
でも、何もかもがリアル過ぎて、とても夢とは思えず、物理的に無理があると
納得できる年になるまで、絶対に現実だったと信じていました。
今でもあれが夢というのは、どこか納得していない部分があって
朱雀はたまに、とてもリアルな夢を見る事があるのですが、それとはまた全く
感触が違うんですよね。

それにその時、空から見た風景はそれまで一度も見たこともないはずなのに
とても鮮明で、数年後、近くの銀行に町内の航空写真が張り出されたことが
あったのですが、それにそっくりだったのです。

眠っている時に幽体離脱する事があるという話がありますが、多分それが一番
近いような気がします。

それから、朱雀は「正夢」を、よく見ます。
大抵それは現実に起こった後、昨日夢で見た!と気付くのですが一度だけ
現実に起こっているその瞬間に、正夢に気付いた事があります。
その時、咄嗟に夢とは違う事をしようとしたのですが、驚いた事に自分の
意思に反して、体が勝手に夢の中と同じ動作を行い、同じ台詞を喋りました。
それからは正夢を変えようとしても変えられない、と言うのが朱雀の定説に
なりました。(笑)

そして、好きになる人に出会う前には、必ずその予感がする夢を見ます。
そして100%の確率で、その後、出会った人に恋をします。
そう言えば最近、その夢も全然、見てないなぁ。つまんないの。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/07/25

天神さん

今日は日本三大祭りの一つ、天神祭りです。

昨日が宵宮で、白木の神鉾を持った神童や供奉人の行列が天満宮から斎場へ
向かい「水無月の祓い」を行った後、神童の手で神鉾を流す「鉾流神事」
や「自動車渡御」「だんじり囃子」などが行われました。

今日の夏大祭が本番で、催太鼓を先頭に神鉾や地車、神輿などの行列が
船着場まで練り歩く「陸渡御」で始まり、天神橋から船へ乗り込み百隻を
越える船が堂島川や大川を行き交う「船渡御」へ移ります。
船上では神楽や能楽が奉納され、両岸からは花火が上がる火と水の祭典です。

初詣の人出が多い事で有名な大阪の住吉大社近くで生まれ、そこで幼年期を
過ごした朱雀にとっても、天神祭りは馴染みの深い祭りです。

で、今日ふと思ったのですが、関西の人間はどうして何にでも「さん」を
付けるのでしょう?
昨日も皆「天神さんやなぁ」と言っていました。
祇園祭も「祇園さん」と言うし、朱雀も子供の頃からずっと、住吉大社のことを
住吉さんと言っていました。

飴にも「ちゃん」をつけて「あめちゃん」。何故か さつま芋だけ「お芋さん」と
妙に丁寧です。お粥も「お粥さん」って言いますね。なんでだろ?

でも、同じ関西でも言葉はずい分違い、朱雀も驚く事もあります。
以前、京都の友人の家に行った時、丁度、猫が外から戻って来て、汚れて
いる足を拭こうとした友人が、猫に向かってこう言ったのです。
「アイヤアゲトウミ」???
一瞬何語かと思いましたが、「足(あいや)上げとうみ」だったんですね。
おお、さすが京都、はんなりしてるわぁ。(笑)
大阪なら「足、上げや」か「足、上げなはれ」ですもんね。
また、神戸の友人と話していると、語尾にやたら「とう」が付きます。
「言(ゆ)うとう」、「しとう」、「聞いとう」など。
「何、言うとう」は「何言っているの」になります。
本当によく出てくるので、初めて聞いた時、朱雀は「とうとう、煩いなぁ。
あんたは仮面ライダーか!」と、思わずツッコミを入れました。(笑)

奈良の友人は語尾が全部「みぃ」になります。「それでね、あのね。」が
「それでみぃ、あのみぃ」に。
奈良でも一部の地域だけらしいのですが、これを聞いた朱雀は、もう
お分かりですね?「あんたは、ネコか?」とツッコミました。

今日は天気も良さそうだし、「天神さんに行きたいわぁ」という感じですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/07/23

祝?半年!

PCやHPの事を何も知らない朱雀が、勢いだけで作ったこのサイトですが、
今日で無事半年を迎えることが出来ました。
これも皆さまのおかげです。ありがとうございます。

今でも、大した物はありませんが、最初は本当に何もないサイトでした。
コンテンツは詩、イラスト、小説の3つだったのですが、小説のページは
作ったものの、肝心の小説がサイトのイメージとずい分かけ離れていたので
UPせず、暫らく工事中のままでした。
結局、今でも他のカテゴリー置き場になっています。

詩は以前書き溜めた詩を、適当にUPしていただけで、新しく詩を書く
つもりなんてなんて全くなかったです。

そして、笑っちゃうのがイラストです。
最初イラストはペイントで描いていたのですが、たまたま、自分のPCの
壁紙用に作った漫画ワンピースのイラストがあったので、それをUPして
いたのですが、サイズもすべて800×600という無謀ぶり!
それから慌ててオリジナルのイラストを作成して、ワンピース物はすぐ
下げました。
それで、その後、フリーソフトPixiaと出会い、それからずっとイラストは
Pixiaで描いています。

記念すべきPixiaの第1作目がギャラリーにある「奇術師」です。
朱雀は何でも先に弄ってみる方なので、使い方講座もチラッと見ただけで
すぐ描き始め、仕上げるのに4日もかかりました。
でも、そこからが酷かった。(笑)
描き上がったイラストは、全部そのままUPしていました。
どれも異常にデカくて重かったです。当時見て下さった方、本当に
ごめんなさい。
で、イラストをPixia倶楽部に投稿しようとして、(投稿規定は100KB以下)
やっと、サイズダウンや減色などに気付き、イラストを100KB以下に
する事ができました。

今でも存在感の薄いキリ番は500番を踏んで下さったスノーピーさんから、
踏みましたので一応連絡しますと、教えて頂いて初めてその存在に気付き
慌ててキリ番企画を作りました。

すべてがこの調子で、今も自分勝手に好きな事をしているだけなのですが、
こんなサイトにも来て下さる方がいて、アクセスカウンターの数字を見る
たび驚いています。
本当にありがとうございます。
そして今後は、せっかく来て下さる方に、せめてもう少し見やすいようにと
気を配り作っていこうと思いますので、こんなへっぽこサイトですが、
これからもどうぞ宜しくお願い致します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/07/22

月下美人の話

BBSにもちょこっと書いたのですが、残念ながら我が家の月下美人は今年は、花を咲かせそうにありません。
昨年は丁度今頃、見事に咲いてくれたのですが、今年は蕾をつける気配すらありません。
月下美人はクジャクサボテンの一種でメキシコ原産の多肉植物です。
夕方から真夜中にかけて白い花を咲かせますが、たった一夜、それも数時間でしぼんでしまいます。
強い芳香があるといわれていますが、ウチのはそんなに匂いませんでした。
5月から10月ぐらいの間に多ければ4回ほど花を咲かせるそうですが、ウチでは1年に1回がやっとです。

また、実は食用で、豚肉などと炒めてもおいしく食べられるそうです。
花びらも天ぷらにして食べられるんだそうです。

花言葉は、ただ一度の恋い。真実の時。はかない美。と一夜だけで終わってしまう神秘的な花らしいものばかりですが、花自体は大ぶりで、かなり豪快です。
花の色は白しかないようですが、クジャクサボテンには赤い花もあります。
ちなみに、クジャクサボテンは昼間咲き、花も2~3日咲き続けるそうです。

ある月下美人関連のサイトで、花の咲いた日を集計しておられるのですが、日本中の月下美人は昔1本の木から挿し木で増やされたと言われているせいかどうかは、分りませんが、大体同じ時期に一斉に咲き始めています。

ご近所の月下美人はもう咲いてしまったので、ウチのは今年は駄目だと諦めました。
よそのも咲かなければ、今年の天候のせいかなぁと思えるのですが、同じ気象条件で咲いているのでなんだかちょっと悔しいです。
といっても、朱雀が世話をしているわけではないのですが・・・(笑)
また、来年に期待しましょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/07/21

朱雀と鳳凰

昨日の続きで、朱雀と鳳凰の整理です。

朱雀

四神の一角を担う瑞獣。頭に冠をいただき、鋭い爪、嘴、美しい翼を持った小鳥と言う説や、背丈が1m以上あり、鸛や燕、鶏、蛇、魚、鴛、龍などの動物が混ざりあった姿をしているというものもあります。
守護方位は南(前)。火の精とも言われ、陰陽五行の思想においては木に生じ、火に遊ぶとされています。
普段は梧桐の木に住み、竹の実を食べています。
人界には竹が実を結ぶ六十年に一度現れるといわれています。


鳳凰 

中国に伝わる伝説の瑞鳥。背丈は四~五尺、前は鴻、後ろは麟、顎は燕、嘴は鶏、頸は蛇、尾は魚、額は鸛、顋(えら)は鴛、背には亀の甲羅、羽には五采を備え、龍の紋様を持つといわれています。

梧桐の木に住み、竹の実を食べ(琅カン樹と言う特別な樹に生る美しい玉を食べたと言う説も)、喉を潤すのは醴泉(れいせん)だけだそうです。

五采(赤、青、黄、紫、白)を持つ鳥で、極めて徳の高い霊鳥であり、鳥類の長でもあります。
また、人前にその姿を表わすのは、天下泰平の時だけであるとされています。
鳳凰の種類については、最も有名な「鳳が雄、凰が雌」とする説と、「鳳凰には五種類おり、体の色彩に赤が多いものを鳳、青が多いもの 鸞(らん)、黄が多いものを エン、紫が多いのものを ガクサン、白の多いものを シュクソウ と呼ぶ」とする説があります。

中国古代神話では、四海の外に、死者が天に登る為の入り口、崑崙山(こんろんさん)があるとされており、人は死ぬと四海を超えてそこに至り、そこで鳳凰が死者を迎えたというのがあります。

面白い話では、鶏から鳳凰を作るというのがありました。

まず、山椒魚を捕獲し、その腸を取り出します。次にその腸の内側に硫黄の粉末を詰め、鉄器に密封し、それを秋なら5日、冬なら7日ほど寝かせた後、絶食させた鶏に食べさせます。
するとその鶏に五色の羽が生え、鳳凰へと変化すると言われているそうです。

鳳凰は古くは風神とされていたのですが、後代になって火の精とされる様になり、四神の一角である朱雀の原形ともいわれ、同一視されることが多いようです。

何で、またこんな事を整理しはじめたかというと、朱雀の絵を描こうかな、なんて思ったりしたものですから・・・
でも、めんどくさそうなので止めました。

写真は、キトラ古墳の石室の南壁に描かれている朱雀です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/07/20

朱雀の話

朱雀というハンドルネームは、ずい分前に自分で書いた漫画のお気に入りキャラの名前(ギャラリーの「朱雀見参」の朱雀)から付けたのですが、今日は本来の朱雀のお話を。

まず古代中国の思想の根幹をなしている「陰陽五行」というがあって、
原初、「混沌」の中から光明に満ちた軽い澄んだ気「陽」の気がまず上昇して「天」となり、次に重く濁った気「陰」の気が下降して「地」になったというものです。
この陰陽の二気は、元来混沌という一気から派生したもので、お互い引き合い、交感・交合します。
その結果、天上では、太陽(日)と太陰(月)、木星、火星、土星、金星、水星の五惑星の他、諸々の星が誕生します。
地上には木、火、土、金、水の五元素、あるいは五気が生じます。
そして、「地」が台頭するにあたって、東西南北=四方を司る守護神、として「四神獣」が登場します。
四神獣は「玄武(げんぶ)」・「白虎(びゃっこ)」・「青竜(せいりゅう)」・「朱雀(すざく)」の四神を言います。

そして四神獣には、それぞれ二十八宿のうち7宿ずつ割り当てられています。
二十八宿というのは、「黄道(太陽の運行する経路)」に沿う天空の中で月の通り道を「白道(はくどう)」と言い、この白道に接する古代中国で使われていた星座に、月が1日1宿ずつ28日かけて宿るというものです。

北方玄武
北方の宿は亀に蛇を形どった「玄武」の形が当てられ「南斗・牽牛・須女・虚・危・営室・東壁」の7つの宿からなります。

西方白虎
西方の宿は白い虎を形どった「白虎」の形が当てられ「奎・婁・胃・昴・畢・觜・参」の7つの宿からなります。

東方蒼竜
東方の宿は竜を形どった「蒼竜」の形が当てられ「角・亢・氏 ・房・心・尾・箕」の 7つの宿からなります。

南方朱雀
南方の宿は鳥を形どった「朱雀」の形が当てられ「東井・鬼・柳・星・張・翼・軫」の7つの宿からなります。

また四神獣は、中国古文「礼記」にある「四霊」(しれい)と同義語とおされており、四霊では、玄武、青龍は変わりはないのですが、朱雀が鳳凰(ほうおう)、白虎が麒麟(きりん)に置き換えられいます。

昨日ちょっと、朱雀と鳳凰が変に混ざってしまったので整理がてら、最初からまとめてみました。メモ帳代わりってことで、今日はここまで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/07/19

20歳と21歳

昨日も書きましたが、昨日は朱雀の誕生日でした。
朱雀は毎年、誕生日の前日に何か書き残すようにしていたのですが
いつの間にか、それをやめてしまいました。
今、手元には15歳から25歳を迎える時までのものが残っています。
で、その中のものをちょっとおひろめ。


わたし
もうすぐ二十才になります
女子高生の一団とすれ違う時
妙に白いソックスが眩しかったり
今まで寄り付きもしなかった本屋さんの
参考書コーナーに立ち寄ってみたり
少しずつ『ああ もう あの頃にはかえれないんだ』っていう
思いが 心の席を占めるようになりました
今の自分に不満なわけではないのです
ただ、不安と疑問と言葉にならない思いを体中に潜ませて
つまらない事にも大声で笑う事の出来たあの頃が
ふいに懐かしくなってしまう時があるのです

上級生に思いをいだいて
毎日毎日、それはそれは切なくて
それでもどうすることも出来ずに
ハラハラ 涙を流したあの頃のわたし
それは確かに今と同じわたしなのだけれど
いつの間にか
ひとりで声も立てずに
必死で自分に言い訳しながら
泣くようになりました(19歳最後の夜に)



明日になれば またひとつ
齢を重ねてしまいます

重ねた分だけ十分に
悲しみや苦しみの
負の部分だけが絡みつき
年を取る事にではなく
もう純粋に たったひとつのことに感じる事が
できなくなってしまった自分を
かなしんでいます

つらいというのは 他の側から
押し寄せてくるのではなく
自分自身の内側にあるものだと
理解しはじめました

本当の意味での『破壊』が
何より今、必要だということを
かみしめて

これからますます重くなっていく
わたし自身を鏡にうつし
新たな一歩を踏み出すところです(21才を迎える前に)


この一年で一体何があったのでしょう?(笑)
何か悩んでますね。
今読み返しても「いいなぁ、若いって」と、まるで他人ごとのように
思うだけで、この頃のことを余り覚えていないプチアルツハイマーな
朱雀です。
自分の事ですら、興味のない事はすべて記憶からこぼれ落ちてしまうと
いうのは果たして良いことなのか、重大な損失なのか?
ちょっと考えてしまいました。
日記でも付けておけば、もっと今楽しめたのに・・・オイ

そうだ!これからこの日記は老後に振り返って楽しむために
書くことにしようっと。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/07/18

今日は・・・

今日は大賀蓮が咲いた日です。
昭和26年、古代ハスの研究者、大賀一郎博士が弥生時代の地層から蓮の実を発見しました。
子供の頃に読んだ本には、発掘最後の日に手伝いの女学生の服に付いていた実を博士が見つけたと書かれていたと思います。
それは2千年前の実で、考古学者達はこれを化石だと信じていましたが、大賀博士は発芽に成功し開花させます。この蓮を大賀蓮といい、その蓮が咲いたのが今日です。

で、蓮といえばまたこれが、近頃朱雀をルナ漬けにした嫦娥(じょうが)に繋がってしまうんですね。

蓮の花物語にこういうのがあります。
夏の夜、月の仙女、嫦娥が下界の川面を鏡にして化粧をしていると、川の主、河伯がそれに見惚れ、その思いに心を揺さぶられた嫦娥はうっかり簪を川に落とします。簪を渡すことは愛の象徴とされており、河伯は急いで水面に上がりますが、川面には蓮の花が一面に咲き乱れ、河伯の持っていた簪も蓮の花びらに変わり、河伯は簪を返すことができずに、恋は実りませんでした。

そして嫦娥には他にも、色んな話があります。

中には西遊記でお馴染みの猪八戒が月の姫、嫦娥に手を出して天界を追放されたというものもあります。

中秋節の由来としての話もあります。
人々を苦しめる10の太陽のうち九つを弓の名手ゲイが射落とし、それに感服した老道士が、不老長寿の仙人になれる薬を与えますが、ゲイはそれを望まず妻の嫦娥に薬を隠させます。
蓬蒙という悪人がそれを知り、ゲイの留守中に薬を渡すよう嫦娥に迫ります。嫦娥はやむなく自分で薬を飲んで仙女になってしまいますが、夫を思う気持ちは強く、地上から一番近い月に降り立ちます。
そしてゲイは月に向け嫦娥の好きな果物を供え、嫦娥を忍びます。これが8月15日の中秋であったことから中秋節としてお祭りするようになったというものです。

更には
残忍な国王が不老不死の薬を手に入れたことを知った妃の嫦娥は永遠の民の苦しみを思い、その薬を飲み、月へ登っていったという話も。

中国には嫦娥奔月(嫦娥、月にはしる)という切手もあり、月にのぼった嫦娥はヒキガエル(ガマ)になり、月が欠けるのはこのガマが月を食べるためだとも。

そして
やはり以前日記に取り上げた風蘭に、富貴蘭・嫦娥というのがありました!
こういうスパイラル凄く好きです。ちなみに今日は朱雀の誕生日だったりします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/07/17

懲りずに続く『ルナティックのすすめ』

再び昨日の続きで予告どおり、ちょっとマニア系なルナティック本の
紹介を。

アカシャ年代記/ルドルフ シュタイナー

シュタイナーの扱いはちょっと悩むところなのですが、外す訳には
いかないので簡単に紹介しておきます。
日本でもシュタイナー学校やその農法などで知られていますが
ゲーテ学者で、人智学教会の創始者であり、神智学者。
ドイツロマン派の神秘主義者でオカルティスト。
と、多くの肩書きが付くのですが、神智学では一般の神智学徒の中から
より高度な弟子道を志願する者達のエソテリック・スクールを設立
しますが、それにはフリーメーソンの影響が色濃く入っていたり
社会主義思想なんかも微妙に入り混じっているせいか、日本で最初
にシュタイナーを紹介したのが右翼思想の大日本文明教会という
ところで、国家主義に置き換えられて翻訳されていました。

今でもドイツのシュタイナー学校は一種特殊な扱いで、一般の大学
受験の際には途中で何年かギムナジム(日本の中学と高校にあたり
ます)に編入し直さなければならなかったり、思想的に偏見をもって
見られる事もあります。

朱雀はルナティックやドイツ浪漫派の流れから書物としての興味で
この本は好きなのですが、宗教や思想には執着がないので現在の
シュタイナー主義には興味がありません。

そして『アカシャ』はサンスクリット語の「そこから万物が生じる宇宙
エーテル」を表す言葉でグノーシス及び神智学からきています。
この本については出版元の案内文に『レムリアやアトランティスにも
ふれながら人類と太陽系との劇的な出会いを再現した宇宙誌の
《起源の書》ともいうべき貴重なる1冊。』とありました。

アカシャ年代記とは宇宙の記憶内容であり、一切の存在と一切の時代
との全ての出来事がその中で持続的に刻印づけられているところの
一種の精妙な霊的実態ともいうべきもの。(ヘラ・ヴィースペルガー)と
いう解説も付け加えておきます。

国書刊行会から世界幻想文学体系の26巻として出版されています。

最後に
全宇宙誌/工作舎
これは宇宙全般ですが、『銀河をのぞむすべての游星人に贈る
ブック・コスモス』という案内文が本につき、まさに『星書』。
本に仕掛けがあり眺めているだけで宇宙を漂えます。

どちらも嵌ったら抜けられなくなります。(笑)
嵌りたい人は是非どうぞ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/07/16

ルナティックのすすめ

今日も月のお話っていうか、昨日はただの語句解説だけで
終わっちゃったんですけどね。
まずは、字数の制限で書ききれなかった続きを。
月の呼び方はもっと叙情的な呼び方が沢山あるのですが
『月夜見歌』では月の満ち欠けと感情の揺れを重ねたくて
月齢を表現する語句をあえて使用しました。

結局、月の魔力に魔が差して浮気した女が、それがばれて
ふられた男のことを忘れられずに待って待って待ち続けると
いう話です。見も蓋もないなぁ・・・(笑)

で、今日のお話はルナ好きを増やしたい朱雀からの
『ルナティックのすすめ』です。
そこでまず、簡単に手に入るルナティックの本の紹介。

一千一秒物語/稲垣足穂
これはちょくちょく取り上げているのであえて触れませんが
とにかく読んで見てください。
新潮文庫から出版されていて、ある意味足穂のもう一つの
代表作とも言える「A感覚とV感覚」も収録されています。

Kの昇天/梶井基次郎
月光力をうまく表現した作品です。主人公の友人Kが海で
入水自殺をします。その理由がわからず、色々と調べて
みると、その日は月齢15.2の満月の夜で、1ヶ月後に
主人公がその海に行くと、丁度月の出がKの自殺の直前に
あたり、月はどんどん大きくなって海には月の光の道が
できてゆきます。その月光の道にのってKが月に昇天して
ゆくという話です。
「哀れなるかな、イカルスが幾人も来ては落っこちる」という
ラフォルグの詩が象徴的に引用されています。

これは新潮文庫から出版されている「檸檬」のなかに収録されて
います。この本には、あの有名な「桜の木の下には」も収録
されています。

サロメ/オスカー ワイルド
これも有名ですね。
『見ろ、あの月を。不思議な月だな。どう見ても、墓から抜け出して
きた女のよう。まるで死んだ女そっくり。どう見ても、屍をあさり
歩く女のよう。』という台詞で始まる聖書を取材した一幕劇です。
岩波文庫から出版されているものは、オーブリー ビアズレーの
挿絵が入っていて特にお勧めです。

取り合えず、こんなところでしょうか。
この次はもっとマニア系の本を、ってまだ続くのか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/07/15

月夜見歌(つくよみうた)

POEMに月の詩を置きました。
月の満ち欠けを折込み一つの話にしたのですが、これがまた分り
にくい!(笑)
後書きに解説を書くほどのモノでもないので、こちらに語句解説を。


昨日も書きましたが、陰暦では毎月の一日をさすことも。
ここでは月の見えない朔。

二日月
二日目の月。細く透き通るような光を放つと言われている。

繊月
三日目の月。虚月も同じ。
三日月、眉月、哉生明、など。
三日月が昇る時や沈むのを見ると病気や不幸になったりするという。

破鏡
七日目の月。上弦の月、半月、玉鉤、弦月、等。
かたわれ月も同義。破鏡は、離れて暮す夫婦が鏡を割りそれぞれ
一片を持ち、愛情の証にしたが、妻が不義を働いた為、妻の鏡が
鵲(かささぎ)となり夫の所へ舞い戻り不義が知れ離縁となったと
いう故事から離縁するという意味があり、それも含む。
唐烏は鵲のこと。

十三夜
十三日目の月。十三日月とも。地方により十三夜様ともいい
拝むと成功するとの言い伝えが。

望月
十五日目の月。満月、十五夜、望、三五の夕べ等。

不知夜月
十六日目の月。十六夜、既望、哉生魄等。
いざよいは、満月より月の出が1時間遅く、ためらっている、猶予
(いざよ)っているように見えることから。

十七日月
十七日の月。日没後、立って待つうち月が上るところから立待月とも。
立待ちは、眠らずに事の成るのを待つという意味も。

十八日月
十八日の月。十七日月より出が遅く、立って待つと疲れるので座って
待つため、座待ち月、居待ちの月とも。

十九日月
十九日目の月。寝待ちの月、寝待ち、臥待月等。
月の出が遅く、もはや寝て待つので。
孤衾は一人寝の夜具のことで、ひとり寂しく寝るたとえ。

二十日月
二十日目の月。夜も更けてようやく出るので更待月とも。
木の四つは、四つは時刻の十時の事だが、吉原に限り一二時とし
遊女が張見世を引く時刻を引四つといい、実際の四つを鐘四つと
言うのに対し、木の四つという。

一七日月から二十日月までを数え歌風に。

二十三夜待ち
二十三日目の夜半過ぎに月待ちすると、願い事が叶うという。
子の刻に上るため、真夜中の月とも。


三十日目の月。月がこもり隠れるところから晦日、つきこもり等。
新月は、月の初めの夜に見える月のこと。

月の名前は他にもありますが、この詩では省略しました。
  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/07/14

『朔』は朔太郎の『朔』

今日も雨で空に月は見えませんが、今夜は満月です。
地球が太陽と月の間にあって、直線に並んだ時に見えるのが満月で
望(ぼう)ともいいます。
その反対に、月が太陽と同じ方向にあって、暗い半面を地球に向ける
ため月を見ることができない事を新月または朔(さく)といいます。
そして、朔から次の朔に至る時間(29.53日)を朔望月と言います。

この朔から思い出したのが、詩人の萩原朔太郎です。
朔日(ついたち)に生まれ、この名を付けられたそうですが、本人は
かなり月に取り憑かれた人のようです。
直接的に月を題名にした『月に吠える』が有名ですが、それとは別に
荒俣宏曰く、朔太郎の生命感覚の凄さ、月リズム感覚の凄さが
表現されている散文詩があります。
ルナティックに嵌った人は、必ず一度は読むであろうその作品を
ちょっと紹介します。

『死なない蛸』と言う小品なのですが、内容はこうです。
ある水族館の水槽で長い間、蛸が飼われていましたが、人々はその
薄暗い水槽を忘れ、蛸も死んだと思われていました。
けれども、蛸は死んでおらず、忘れられた水槽の中でおそろしい飢餓を
忍ばねばなりませんでした。しまいに蛸は自分の身体を食べはじめます。
まず足を一本、そのうち体を裏返して内臓まで食べてしまいます。
かくして蛸は、身体の全部を食べ尽くしてしまいます。
ある朝、番人がその水槽の前に来た時、水槽は空になっていました。
蛸はすっかり消滅してしまったのです。
けれども蛸は死ななかったのです。身体が消えた後ですら、永遠に
そこに生きているのです。
幾世紀の間を通じて、もの凄い欠乏と不満を持った、人の目に見えない
動物が水族館の水槽の中に生きているのです。

この散文詩には朔太郎の自註があり『生とはなんぞ。死とは何ぞ。
肉体を離れて、死後にもなお存在する意識があるだろうか。
私はかかる哲学を知らない。ただ私が知っていることは、人間の
執念深いアイデアが、死後にもなお死にたくなく、永久に生きていたい
願望から多くの精霊を創造したということである・・・』とあります。

朔から望へ、そしてまた朔へ、形は変わっても綿々と生き続ける。
まさにルナ(狂気)ですね。
月の見えない望の夜に、朔に思いを馳せて見るのも悪くはないでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/07/13

『百日紅』の話

久しぶりにイラストを描きましたが、夏らしい花を描こうと色々思い
巡らせたのですが、結局、百日紅を描きました。
以前日記に『夏椿』の話で百日紅の異名について少し書きましたが
さるすべりはその平滑な樹皮に猿も滑り落ちると言うところから
そう呼ばれるようになったのですが、真夏の暑さで大方の植物が
葉を力なく重たげに広げている時期に、今を盛りと咲き続け
花の期間も長いことから百日紅と言う漢字が充てられています。
今日はその『百日紅』の花物語を・・・

その昔、朝鮮のある漁村に、毎年水難を防ぐため村の娘を竜神に
捧げる風習がありました。
ある年、この村一番の長者の娘がそれに選ばれ、泣き暮れておりまし
たが、長者の娘であるからといって村の掟に背くわけにもいかず
娘は最後の化粧をし、海岸で竜神を待ちます。

その時、この国の王子が黄金の船を操ってこの岸に通り合わせ、娘から
事情を聞いた王子は、美しい娘を不憫に思い竜神と戦ってこれを
征伐します。

娘は、自分の命を救ってくれた王子に熱い思いを寄せ、二人は恋仲に
なりますが、王子は王の命令で他所へ行く使命があり、百日目の再会を
固く約束して旅立ちます。
娘は再会の日を楽しみに待っていましたが、その日を前にして病に倒れ
死んでしまいます。

百日目の朝、使命を果し終えた王子は娘を訪ねますが、娘の死を知り
地に伏して慟哭します。そして娘の遺体を弔い埋めたところから、いつしか
一本の木が生え、薄紅色の花が咲き続けました。
これはきっと百日もの間、王子を待ち侘びた娘の化身に違いないと
人々はこの木を百日紅と呼ぶことにしました。
そして、この木が百日もの長い間花が咲いているのも、その所為だと
いわれています。

朱雀は百日紅の色鮮やかの花を見ると、イチゴシロップのかかった
カキ氷を思い浮かべてしまうのですが、切ない悲恋の花だったんですね。

百日紅は他にも「なまけの木」という呼び名があるそうで、
これは春に他の樹木が茂ってからようやく芽吹きを始めるかと思えば
秋になると他の樹木よりずっと早く落葉する所為です。
また枝先が細く、そのつるつるした肌を少し擦っただけで笑っている
ように揺れることから「クスグリノキ」や「笑い笑いの木」といった
名前で呼ぶ所もあるんですって。

散れば咲き 散れば咲きして 百日紅

加賀千代女(かがのちよじょ)の句です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/07/12

イラストと『Pixia』の事

『Pixia』使いの絵師様が、暑中見舞いカードを配布されているのを見て、朱雀もサイトにお越し下さった皆さんにカードを作りました。

それで、本当に久しぶりにイラストを描きました。
途中スノーピーさんのお祝い画を描きましたが、あれは「ぬり絵」なので、実際には前の「マリア」から40日ぐらい経っているんですね。
で、描きあがったのが『夏』なんですが、妙に漫画チックになってしまいました。
いっそのことアニメ塗りにすればよかったかもしれませんが、いかんせん朱雀にその技術はありません。
あれって結構難しそうですよね。塗る時の決まり事なんかあるのかな?

ところで、朱雀はイラストを描く時にはいつもフリーソフトPixiaを使っているのですが、そのPixiaとの出会いは本当に偶然でした。
朱雀はどんなお絵かき用のソフトがあるのか全く知らずに、ただWindowsの付属ツール、ペイントで描いていたのですが、そのペイントでももうちょっとうまく描けないかなぁと、ペイントでイラストを描かれている方のHPを検索しサイトを覗いて見たのですが、そこでフリーソフトでももっと高度な事が出来るPixiaと言うのがあると紹介されていたんです。

早速、Pixiaのオフィシャルサイトへ行き、ダウンロードしたのですが、これが本当に凄かった!
使い始めてから、どうしてこれがフリーソフトなんだ?
こんなに凄いものがタダだなんておかしい、後で何か良くない事が起こるのでは(例えばウィルスが仕込んである)なんて、いつものように貧乏性の朱雀は考えてしまった程です。丸岡さんすみません!

ただ、フリーソフトなので使い方については自分で調べるなどの手間が少し掛かるのですが、朱雀もお世話になっている「Pixia倶楽部」をはじめPixia使いの皆さんの使い方講座なんかもあり、また同じPixia使いの人たちの横の繋がりと言うのがとても暖かくて、Pixiaを知ることができて本当に良かったと思っています。

Pixia倶楽部で知り合った皆さんも、Pixiaを知らなければ出会うことが無かったかもしれませんし・・・感謝です。

もしまだPixiaをご存じない方で、イラストを描いて見たいなぁと思っている方がいらしたら是非、Pixiaのオフィシャルサイトに行って見て下さい。

http://www.tacmi.co.jp/pixia/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/07/11

取り留めもない話

何だかね、一度に色んなものを見たり聞いたりすると、
一つ一つは心地良くても、組み合わせと言うのがあって
時には、台無しになってしまう事もあるのです。

そんな訳でいま、朱雀の頭の中はかなりグチャグチャ。
根っこのところが見えないっていうか、言葉が上辺だけを滑ってゆくカンジ。
何言っても嘘っぽくて、何書いてもツマラナイ。

で、ちょっと気分転換に語源探索に・・・
ぼんやりと眺めていたつもりが、いつの間にか
目から鱗がはらはらと落ちてゆきました。

「嘘」ってどう言う意味か知っている?
う-そは、u-soになって『見た事も無いより遠い所の話』

「木」はきぃ(kyi)で、『柔らかいもの』
「愛」はあ-い(a-i)で『大きくて偉大な確かな存在』
「恋」はくぉ-いぃ(kwo-yi)で『優しさ(細やかさ)を根源とするもの』
「罪」はつぅ-み(twu-mi)で『真に確かに積み上げてきたこと(過去の全ての行為)』
「歌」う-た(u-ta)は『見ることはできないがとても偉大なもの』
「書(か)く」は『仮の姿を表現すること』
「待(ま)つ」は『本当に近づいてくること』
「苦しい」は『もつれたこと、入れすぎたこと』

うん、納得。
もっと楽に考えていいんだ。
と、言う訳で今日は日記もこれでおしまい。
また 明日。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/07/10

お気に入りワールド 『魂』 の話

このところ「言霊」や「世界樹信仰」などを見直しているうちに、そう言えば魂の形態学に一時興味を持っていたなぁと、また今日も朱雀のお気に入りワールドのお話です。
朱雀が十代の頃、もの凄く古代エジプトに惹かれて色んな書物を読み漁ったことがありました。その中でとりわけ心に残ったのが気配神「バー」と「カー」の話です。

まず、古代エジプト人は生の世界と死の世界を明確に分け、再生・復活の考えを持っていました。
そして、人間の存在は「魂(バー)」「生命(カー)」「肉体または、生命の形態(アク)」の三つから成ると考えていました。
バーとカーの違いは、肉体が死んでもその人のバーはこの世に生き続け、夜になると遺体の中に入って休みます。カーはこれに反してあの世とこの世の間を往復します。
また、生命が永遠に続くためにはバーとカーが共に自分のものとしての肉体を確保する必要があり、遺体をミイラとして保存していたのです。

そして遺体を安置する墓は遺体を様々な力から守るというのと、カーの住む場所としての役割を持っていました。
墓には「偽扉」と呼ばれる扉の形をした石碑が置かれ、カーはそこから外界に出たり玄室に戻ったりします。

後にこの思想は「魂魄(こんぱく)」として中国や日本に入ってきます。
魂魄とは人間に宿っているとされる2種類の霊魂の事で
「魂」は心と同義で陽の気に属する魂として、「魄」は心の拠り所となる形あるものの事で、陰の気に属し肉体をつかさどり人の成育を助けるという概念です。

人間の死後、魂は人間の身体を出て位牌の中に住み、やがて天に上り、魄は人間の死後も身体の中に住み、墓に埋められた死体と一緒に土になると言われれています。
この世に未練を残して死んだ人間の場合、魂魄は鬼(キ)となって人間界を訪れ、害をもたらします。この場合「鬼」は「帰」につながり、「帰ってきた者」という意味があり、一種の悪霊を指します。

そして陰陽は陰気、陽気となりもう一つの気(キ)に繋がってゆきます。

こうなるとまた民俗学やルナティックに傾きそうなので、ひとまず終わりますが、この「魂魄」のことを少し盛り込んだ詩が「月輪譚(がちりんたん)」で、

冷光纏い 魂魄(こんぱく)だけが

月に憑かれて月読(つくよみ)に就く

という最後のくだりは、このあたりの浮遊感を出したかったんですけど、出ているでしょうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/07/09

「芙桑」から「嫦娥」へ

昨日の日記に宇宙樹信仰は中国では後に「芙桑」と呼ばれると書きましたが
それを少し掘り下げてみると面白い所に辿り着きました。

まず、殷の時代の宇宙観では太陽は十個あり、交代で空を廻ります。
太陽には甲乙丙丁など十干の名が付き、それを司る十人の神巫がいます。
太陽は東方の土の中から出て、夕暮れに西方の果ての高山(山の名)まで行った後、崖から落ちて地下を巡り、東方に戻ります。そしてそこに生えている扶桑の木の枝で休息し、次の出番を待つというものです。

ここからは堯の時代のお話です。
羲和という女神が十個の太陽を生みます。
太陽達は、東の果ての湯谷(ようこく)に住み、そこで羲和が毎日汚れた太陽を洗っているので、湯谷の海水はいつも煮えたぎっていたといいます。
そしてそこに扶桑の木が生えていました。
最初、太陽は一つずつ順に廻っていましたが、ある日一斉に十個の太陽が出てしまいます。突然、激しい旱魃に見舞われた人々は苦しみます。
そこで、巫女を連れて雨乞いをするのですが、巫女は焼け死に雨も降りません。
それを見ていた天帝は自分の息子(太陽達)を懲らしめる為、天上界からゲイという弓の名手を呼びます。ゲイは妻を伴い地上に降り、弓で次々と太陽を射抜き落としました。
時の王「堯」は全ての太陽を射落としてしまってはいけないと、ゲイの矢袋から一本の矢を抜き、太陽は一つだけ残ります。
意気揚々と天上界に戻ったゲイは、自分で頼んだにも拘らず子供を殺され怒った天帝に妻ともども神籍を剥奪され、再び地上に戻ります。

天上人であった二人には死後、人間たちの亡者と一緒に過ごすという事が耐えられず、西の果ての昆侖山(こんろんさん)に住む西王母を尋ねます。

西王母は二人を哀れに思い不死の薬を渡しますが、その時
「これを飲むと二人は不死になれます。ここに二人分の量がありますがこれが最後です。けれど、もし一人でこれを全部飲むと、再び天上界に戻れます。」と言います。

ゲイは、後日二人で飲むつもりで妻に薬を預けます。
ところが妻は一人でコッソリ薬を飲み天上に帰ってしまいます。
この妻の名が、嫦娥(じょうが)です。
朱雀の詩「女事(オンナゴト)」にも出てくる、もとは地上人で、不死の薬を夫から盗み月の女神になったと言う嫦娥の別バージョンのお話です。
こんな所で繋がるとは、螺旋の神秘はなんて心地が良いのでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/07/08

七夕の話2?

今日も七夕の話の続きを。
朱雀が七夕と聞いて興味を引かれるのが、七夕伝承の元となる信仰です。
七夕伝承は「世界樹信仰」から「トーテム信仰」へ、更に「西王母信仰」へと移りその西王母が織姫に変化していったものだと言われています。

世界樹(宇宙樹)とは世界の象徴ともいうべき巨大な『とねりこの樹』の事で、天地創造の時に、まず1本の巨木が生まれ、この天と地を結ぶ一本の木から全てが生まれ、そこから全ての秩序が作られていったとするのが世界樹信仰です。

その一番典型的なものが北欧神話の『ユグドラシル』です。

世界の頂に立つ大樹ユグドラシルは、根の一本はアスガルド(アサ神の国)に、もう一本の根はヨトゥンヘイム(霧の巨人族の国)に、三本目の根はニフルヘイム(死者の王国にして氷の国)に伸びています。
そして根の麓のノルン(運命の女神)の泉にはウルド(過去)、ベルダンディ(現在)、スクルド(未来)と言う三姉妹が住み、樹の世話をしながら神々や人間の運命を予言しています。

この宇宙の中心で九層の世界を貫くユグドラシルは、巨人族と神々との最終戦争(ラグナロク)によって世界が滅んだ後も、存在し続けます。
そして、ラグナロクの中で唯一生き残ったリーヴとリーヴスラシルの子孫が新世界を造り上げていく、と言うのが北欧の世界樹神話です。

そして、宇宙樹(世界樹)信仰は中国では後に「芙桑」と呼ばれるものになり日本でも鹿児島県の「若木迎え」や諏訪大社の「御柱祭」として残っています。

宇宙樹信仰は頭の部分に日月、中央部に有蹄類、下部にベビなどから構成される柱を神体として扱ったようで、この柱の神体をトーテムと言います。これがトーテム信仰です。
そして、トーテム信仰の1つ、鳥トーテムは宇宙樹は地上と天上を支える軸とし、星々の中心に見える北極星と地上とを結びます。
最初、鳥トーテムの柱は当時の北極星であるベガ星に向かって伸びていたことになります。

それが地球の歳差運動によって、北極星の位置がベガ星からポーラスターへ変わってしまったことから、宇宙樹は東西に分裂を起こし、それぞれに神ができます。
これが西王母と東王父で、後に織姫と牽牛に変化し七夕の話になってゆきます。

これらの話はシャーマニズムや陰陽道、四神獣『朱雀』の二十八宿などに繋がり朱雀のお気に入りワールドなのですが、あんまり面白くないですか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/07/07

七夕の話

今日は七夕ですね。それで、ちょっと七夕について調べて
いると、北海道の七夕行事にハロウィンとそっくりな風習が
ありました。

七夕の日の夕方、子供達が提灯を持ち
『ローソク出せ出せよ~
出さなきゃ かっちゃくぞ(引っ掻くぞ)
おまけに噛み付くぞ~ ローソク出せ出せよ~』
と歌いながら近所の家々を回ります。
戸口で歌を歌い、その家の人からローソクかお菓子を貰うと
いうものなのですが、ちょっと可愛いでしょ。
ただ、ハロウィンのように仮装はしないようです。

また、ローソクと言うのは言葉の綾だといわれているよう
ですが、なぜローソクなのか、ちょっと不思議ですね。
それで、北海道ではこの時期になると学校の朝礼などで
「お菓子が貰えないからと言って文句を言わないように」と
いう注意があるんですって。

よく似た風習が京都にもあるらしいのですが、朱雀はずっと
関西に住んでいますが、そう言う話は聞いた事がありません。
なんかやってみたかったなぁって、思います。今まで知らな
くて残念!

それから織姫と牽牛の話は昔から多くの国で伝えられて
いますが、以前朱雀は友人達と酒のあてに、この話をしていて
『1年に1度は多いか少ないか』という話で盛り上がった事が
ありました。

そのとき誰かが漫画か何かの話を持ち出したのですが、
その話は、政略結婚でもともと夫を愛していない妻は男の子を
もうけた途端、一人離宮に住み、夫は妻をとても愛している
にも関わらず、愛人と羽目を外し身持ちの悪い夫を演じます。
子供が13歳になった時、夫はせめて天使のように美しく育った
子供に優しく接する妻を見たくて、妻のもとに子供と共に行き
ます。ところが妻はあの忌まわしい交わりの結果である子供の
顔など見たくないと会う事を拒否するのです。
妻は貞節を守ってはいましたが、心は海の魔物に委ねていま
した。それを許せない息子は、母と海の魔物を部屋に閉じ込め
3日間絶対に扉を開けるなと召使達に命じます。
相手は海の者、3日も海から離れると、きっと死んでしまうと。

その時、父親は心の中で呟くのです。
「あなたはまだ分ってらっしゃらない。愛する者と三日三晩も
いられるのなら、たとえどんな結果になっても本望だ」と。
その話を聞いて、1年に1回でもずっと逢えるんだったら幸せ
かもね、なんて皆で頷いたような気がします。
皆さんはどうですか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/07/06

「ひまわり」の話

ひまわりの歌を詠もうと思い頭を捻っていたのですが、
そう言えば「ひまわり」って色んな呼び方があったなあと思い
ちょっと調べてみたら、面白い記事を見つけたので
今日はそのお話を。

ひまわりの呼び方は文化圏によって大きく3つに分かれるというのです。
一つ目は、「日廻りグループ」といい、太陽を追ってまわる花を意味
する呼び方。
二つめは「Sunflowerグループ1」といい、太陽そのものを表し、太陽の
ように丸く、大きな黄色い花を意味する呼び方。
そして三つ目が「Sunflowerグループ2」といい、太陽そのもの又は太陽
のように回ることを意味する呼び方。

そして、日本で呼ばれている「ひまわり」の呼び方もこの3種に
分類できるのだそうです。

『日廻りグループ』
日廻り、日回、向日葵(ひまわり、ひゅうがあおい、ひなたあふひ)、
日向、日向草
『Sunflowerグループ1』
ひの丸
『Sunflowerグループ2』
日車、日車草、日輪草、日蓮草、天車、天道廻(てんとうまわり)
更にその他にも分類不可の、ネッパバナ、めっぱ、わっぱばな、
天蓋花という呼び方もあるようです。

また外国語では、イタリア語、スペイン語、フランス語、ポルトガル
語ではいずれも「回す、回る」と言う動詞が名前の中に含まれ、
ドイツ語、英語、オランダ語では「回す、回る」と言う動詞は無く
「太陽+花」という構成になっています。
インドネシア語も「太陽+花」という構成だそうです。
一番興味深かったのがハワイ語で「太陽を見続けるもの、太陽を
じっと見つめるもの」という表現をします。
何だか修行僧みたいですね。
中国では迎陽花、向日葵と書くので日廻りグループなのかな?

こういうのを見ていると、その言葉に宿る思いというか『言霊』と
言うのは、それぞれが持つ意味は違っても世界共通なのだなぁと
つくづく思ってしまいます。

今、朱雀が興味を持っている短歌とか俳句とかはその限られた字数の
中で更に凝縮された思いが詠われているのですが、そう考えると
同じ「ひまわり」を詠んでも、その言葉の使い方一つで太陽を追っている
花として見ているのか、太陽そのもののように感じているのか、また
太陽のように廻っていることに思いを馳せているのかを変えてゆけるん
ですから、言葉って本当に奥が深いですね。

言葉についてもっと勉強しなくてはと改めて思った朱雀です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/07/05

「手習草子」の事

今日の日記はちょっとお知らせです。

「Poem」のページに「手習草子」と題して短歌と俳句の
勉強部屋を作りました。
それぞれの部屋に写真やイラストを置いてそれを
テーマに歌や句を詠もうと思います。
同じようにちょっと詠んで見たいな、と思われる方が
いらしたら、どんどん参加して下さいね。

一番最初のテーマはPixia使いで朱雀の憧れの絵師でも
ある『OePen』のペン太さん撮影の向日葵の写真です。

早速、ひとつ朱雀のヘボい短歌を置いていますので
ちょこっとでも、興味のある方は是非覗いてやってください。
一応、「手習草子」のページに投稿用のメールフォームを
置きましたが、BBSにカキコして頂いても結構ですので
皆さんお気軽に参加して下さいね。

これでまた、お絵かきから遠のいてしまったような・・・
もし朱雀のイラストを待って下さっている奇特な方が
いらしたら、申し訳ありませんがあと少しお待ち下さい。
描くのを辞めた訳ではありませんので、また少ししたら
きっと描くと思います。
それまで、どうか気長にお待ちください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/07/03

幸福なお散歩・・・

朱雀はすごく偏執的な人間で、好きなものはそれこそ
異常なくらい執着するのですが、興味のないモノには
全く目がゆきません。
そんな朱雀は今、好きなものがいっぱい過ぎて心が
パンクしそうです。

長い間詩を書くことをやめていた朱雀が、また詩を
書き始めたことをきっかけに、素晴らしい詩人さん達と
出会い、その方達の作品に触れる度、新しい発見と
感動と愛しさと、ちょっぴりの痛みと・・・
どれほど心が満たされ揺らめいたことか。

だけどずい分と前の事ですが、あることがあって
とっても臆病になってしまった朱雀はその方たちと
もっと関わりたいと強く強く思いながらも、自分から
手を差し伸べることが出来ませんでした。

朱雀が手を触れると、その人たちが汚れてしまう。
そんな強迫観念がどこかに潜んでいるのです。

なのに朱雀がそんな歪んだ思いを寄せている方達は
皆さんとっても優しくて、実にさりげなく当たり前の
ように手を差し出して下さるのです。
本当に朱雀はなんて幸せ者なんでしょう。

という訳で最近の朱雀は、おやすみ前にゑ女姉さんの
「ポツリポツリ」を読みに伺い、ちらりとサロンでの
お話をのぞき、俊さんちの連詩が気になって足を運んだ
ついでにお勉強がてら、過去の連詩や源氏物語詩篇
などひとつふたつ拝見した後、Pixia使いの絵師様の
それはそれは優美な絵に会いに不定期、順不同で
流れ着いたあと、スノーピーくんのお顔をちょこっと
眺め、眠い目を擦りながら後をくっついて来る『朱雀』を
連れてごさどんさんの「とろっぺき『のっつそっつ』」に
腰掛け「hobo jungle」でときめく詩に胸を躍らせ、
溢れるくらい心を満たして夢と現を彷徨ったまま
眠りに就くのです。

でね、この幸福なお散歩にまたひとつふたつ立ち寄り先が
増えそうなんです。
睡眠時間がどんどん減っちゃいそうで、ちょっと恐ろしい
ですが、心がパンクしちゃうまできっと続きます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/07/02

「半夏生」のお話。

今日7月2日は、七二候の1つの雑節に数えられる「半夏生
(ハンゲショウ)」です。
「半夏生」は夏至から数えて11日目をいい、田植えを終える目安
となる日です。
「半夏半作」といって、半夏生後に田植えをしても収穫は少ないと、
昔からこの日を過ぎれば田植えをしなかったといいます。

暦の上の「半夏生」は、「カラスビシャク(烏柄杓)」という植物が
生える時期という意味です。
カラスビシャクはサトイモ科の植物で、球茎が夏至のころに良く
育つので、漢名や生薬名で「半夏(はんげ)」といいます。

また、「ハンゲショウ」というドクダミ科の植物がありますが、
「半夏生」の時季に花を付けるのでその名が付いたといわれて
います。
同じ頃、緑色の葉先が白くなり葉の半分だけが白く変わるため
半分白化粧をしたようになることから「半化粧(はんげしょう)」
「片白草(かたしろぐさ)」とも呼ばれいています。
そして、不思議なことにこの日を過ぎると、白粉がはげるように
再び緑に戻ります。
花の咲く時期に葉が白くなるのは虫媒花なので虫を誘うためなの
だそうですが、なんだかとっても面白いですよね。

こういう話は思いっきり朱雀のツボで、「うまくできてるなぁ」と
ひとり感心しています。
「半夏生」と「半化粧」だなんて昔の人ってセンスがいいですよね。
また、自然の理に叶っているだけなのかもしれませんが
計ったように同じ時期に花をつけたり葉が白くなったり。
それも何故か半分だけ!本当にうまく出来てますよね。

こういう話に感心している時って、朱雀は日本人に生まれて
よかったなぁ、なんてつくづく思ってしまいます。
勿論、他の国でもその国独自の風習や習慣など色々ありますが、
なんかね、こういうのって粋じゃないですか。
それで、わりと冗談も入っていたり・・・そう言えば「神秘と冗談」
というこれまた朱雀のツボに嵌った本がありました。
なかなか面白い話がいっぱい書かれているのですが、その話は
また今度。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/07/01

短歌と病気?のお話?!

昨日の続きになりますが、短歌にちょっと興味を持ち
あちらこちらで素敵なものに出会ったトキメキを
もそもそと詠んでおりましたら、いつの間にか
数が増えてきましたので、POEMのページに
『三十一文字 言の葉つづり』と称した駄作置き場を
作りました。

とは言っても、今まで特に勉強したわけでもなく
ただ字数を合わせているだけの、ド素人の作品です。
どなたか添削して頂ける方はいないでしょうか?
別に、感想だけでも結構ですので、皆さんの
ご意見をどんどん聞かせて下さいね。
他のものと同様、BBSでもメールでも結構です。
皆さん、宜しくお願いします。

ところで、今日は7月1日。いよいよ本格的な夏が
近づいてきましたね。

実は朱雀は少し人と違う体質なので、暑さには
かなり弱くて今からちょっとバテ気味です。
病気と言う訳ではないのですが、もともと体温が凄く
高いんですね。平熱が37度以上あります。
気温が上がると体温も少し上昇するので、下手すると
37度5分を位にすぐなっちゃいます。
さすがにそれを超えるとボーっとしてくるので、結構
大変なんです。

元は普通だったのですが、中学生の頃からそうなって
しまって、最初は慣れずにいつもボーっとしているので
病院で検査を受けたのですが、ハッキリとした事は
分らず一応特異体質と言う事にはなっているのですが
お医者さんによっては体質ではないと仰る方もいて
定期的に検査だけは受けているのですが、未だに原因は
解明されていません。

検査を受ければ受ける程どれも曖昧で、本当に嫌に
なってしまいます。微熱が続く病気と血液検査を元に
毎回可能性のある病気を検査するのですが、膠原病
結核、白血病、心臓病とめげる様なものばかりです。
で、はっきり大丈夫と言って貰えるものも一つも無くて
全部微妙な結果が出るんです。
その都度「特に今どうなると言うものは無いですが
定期的に検査を受けた方が良いですね」と言われて
延々とその繰り返しです。
今ではすっかりモルモットの気分ですよ。(笑)

一番笑っちゃうのが血液検査です。検査を受ける度
アレルギー体質だと言われるのですが、薬も食物も
金属も全部大丈夫なんですよ。
それじゃあ、朱雀は一体何のアレルギーなんですか?

あら、長々と愚痴ってしまいましたね。
腹を立てるとまた体温が上昇しそうなので、この辺で
やめて置きます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2003年6月 | トップページ | 2003年8月 »