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2003/07/10

お気に入りワールド 『魂』 の話

このところ「言霊」や「世界樹信仰」などを見直しているうちに、そう言えば魂の形態学に一時興味を持っていたなぁと、また今日も朱雀のお気に入りワールドのお話です。
朱雀が十代の頃、もの凄く古代エジプトに惹かれて色んな書物を読み漁ったことがありました。その中でとりわけ心に残ったのが気配神「バー」と「カー」の話です。

まず、古代エジプト人は生の世界と死の世界を明確に分け、再生・復活の考えを持っていました。
そして、人間の存在は「魂(バー)」「生命(カー)」「肉体または、生命の形態(アク)」の三つから成ると考えていました。
バーとカーの違いは、肉体が死んでもその人のバーはこの世に生き続け、夜になると遺体の中に入って休みます。カーはこれに反してあの世とこの世の間を往復します。
また、生命が永遠に続くためにはバーとカーが共に自分のものとしての肉体を確保する必要があり、遺体をミイラとして保存していたのです。

そして遺体を安置する墓は遺体を様々な力から守るというのと、カーの住む場所としての役割を持っていました。
墓には「偽扉」と呼ばれる扉の形をした石碑が置かれ、カーはそこから外界に出たり玄室に戻ったりします。

後にこの思想は「魂魄(こんぱく)」として中国や日本に入ってきます。
魂魄とは人間に宿っているとされる2種類の霊魂の事で
「魂」は心と同義で陽の気に属する魂として、「魄」は心の拠り所となる形あるものの事で、陰の気に属し肉体をつかさどり人の成育を助けるという概念です。

人間の死後、魂は人間の身体を出て位牌の中に住み、やがて天に上り、魄は人間の死後も身体の中に住み、墓に埋められた死体と一緒に土になると言われれています。
この世に未練を残して死んだ人間の場合、魂魄は鬼(キ)となって人間界を訪れ、害をもたらします。この場合「鬼」は「帰」につながり、「帰ってきた者」という意味があり、一種の悪霊を指します。

そして陰陽は陰気、陽気となりもう一つの気(キ)に繋がってゆきます。

こうなるとまた民俗学やルナティックに傾きそうなので、ひとまず終わりますが、この「魂魄」のことを少し盛り込んだ詩が「月輪譚(がちりんたん)」で、

冷光纏い 魂魄(こんぱく)だけが

月に憑かれて月読(つくよみ)に就く

という最後のくだりは、このあたりの浮遊感を出したかったんですけど、出ているでしょうか?

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